和歌山へ
朝から天王寺駅前のミスタードーナツで仕事をし、ようやく一段落したので、紀州路快速に飛び乗った。
今日は気持ちいい天気。
昨日はとんでもない湿度と雨だったが、今日は絶好の汽車旅……いや、取材日よりだ。
朝からうろうろしたかったが、しょうがない。
これから、「彼女」に逢ってくる。
朝から天王寺駅前のミスタードーナツで仕事をし、ようやく一段落したので、紀州路快速に飛び乗った。
今日は気持ちいい天気。
昨日はとんでもない湿度と雨だったが、今日は絶好の汽車旅……いや、取材日よりだ。
朝からうろうろしたかったが、しょうがない。
これから、「彼女」に逢ってくる。
「ぷらっとこだまエコノミープラン」で大阪に向かっている。
今月、何度目の出張だろう?
今回は、出張といえるか微妙だけど。
昨日は関西在住の知人と新大久保で食事をしたが、その人は夜行ツアーバスで帰って行った。「こだま」とはいえ、非常に無駄な贅沢をしているようで申し訳なし。何しろ、今回はグリーンプランなのだ。いつから僕はそんなに偉くなったのか。調子に乗って買った。今は反省している。
格安で「こだま」を利用できる「ぷらっとこだま」。新幹線利用にしては安いうえ、缶ビールも一本もらえる。「こだま」は各駅で停まり、車窓風景や駅弁をゆっくり楽しめるので、好きだ。
そして、今朝の朝食は、鉄子の旅プロデュース第3段、「日本縦断弁当ぎっしり東海編」。かけ紙は、あの「写真集・秘境駅」でも紹介している飯田線小和田駅だ。
北海道編、東日本編と食べてきたが、毎回この駅弁には感心させられる。今回も、伊豆名産・金目鯛の朴葉味噌焼き、名古屋名物(をイメージした)手羽、うなぎ、茶飯、近江の赤こんにゃく、わさび漬けに赤カブ漬と盛りだくさんだ。味付けも濃すぎず薄すぎず、香りもいい。昔の日本食堂とは一線を画している。これはNRE大増がすごいのか、それともキクチさんが偉いのか。
今は熱海駅に停車中だ。
中野ブロードウェイの隣、早稲田通り沿いに「サーティーワンアイスクリーム」がオープン。何かサービスがあるのか、行列ができている。
日本では、どうして「サーティーワン」という呼び方が定着しているんだろう? アメリカや韓国など、外国では正式名称の「バスキンロビンス」として知られているのに。
「サーティーワンアイスクリームが、いよいよ中野に登場しました」
おいおい、お兄さん、それは違うよ。中野のサーティーワンは、元々は30年近く前に、ブロードウェイの地下1階にオープンしたのが最初だよ。当時小学生だった僕は、親の買い物に付いていくと、時々サーティーワンのアイスを買ってもらえたものだ。ハーゲンダッツが上陸するずっと前。僕にとっては、レディーボーデンと並ぶ超高級アイスクリームのイメージだった。
さっき行列していた人たちは、ブロードウェイのサーティーワンを知っているのだろうか……。
その、サーティワンアイスクリーム中野ブロードウェイ店の跡地に行ってみた。
ブロードウェイの地下1階。巨大アイスクリームで有名なデイリーチコのカウンターに向かって、右側に進んだ突き当たりだ。今は、雑然とした倉庫になっていた。
この隣にはお好み焼き屋があって、そこも好きだったのだが……。今は昔だ。
そう言えば、昨日WILLCOMのスマートフォン、WILLCOM03が発売になった。
WILLCOMの、WindowsMobile搭載スマートフォン「W-ZERO3シリーズ」としては、4世代目にあたるこの製品。携帯情報端末としてはかなり洗練されている。
電子辞書並みだったサイズは、携帯電話とほぼ同じサイズにまで小さくなり、デザインもなかなかかっこいい。メモリや動作速度は必要充分の性能を持ち、ソフトの使い勝手も上がった。今回は、ワンセグまで付いている。
WORD、Excelが使えて、PC用のウェブも普通に閲覧できる。MP3や動画も大抵のファイルを再生できるし、NAVITIMEやネットラジオも自由に使える。OCRは名刺だけでなく記事も読み込めるようになった。これは大きい。もちろん、ソフトやフォントを入れれば、韓国語も入力・表示可能だ。
ライターの仕事をする上で、便利なことこの上ない端末なのだが……、なぜか、あまりワクワクしない。
今使っている前モデルのAdvanced/W-ZERO3[es]で、ほとんどのことができてしまうからだろうか。
確かに、かっこよくなったし、小さくなったし、サクサクだし、記事のクリップも容易になった。でも、今までのような、「前モデルでは絶対できなかったこれができるようになった」「劇的に改善された」といったセールスポイントが見あたらない。
要するに、完成してしまったのだ。何事も、不完全な状態でチャレンジをしている時のほうが、見ている方はワクワクする。
ディートハルトは言った。
「W-ZERO3シリーズはすでに完成された素材、それに尽くして何になるのですか?」
あ、いや、今のは忘れてほしい。
もちろん、これは僕の感想であって、大多数の、スマートフォンを必要としている人にとって、WILLCOM03は実に魅力的だ。これだけの完成度を備えた端末で、月額5000円前後でウェブが使い放題というのは、他社では真似できない。
バッテリーが、今までの3倍長持ち!というのなら、すぐにも買うんだけど。
もっとも、まだAdvanced/W-ZERO3[es]の支払いが1年以上残っている。どっちにしても、来年まではWILLCOM03は買えないわけだ。一番問題なのは、今使っているアドエスの寿命が、どうも来年までは持ちそうにないということだ。
元タレントの豊岡真澄さんが元気な男の子を出産した。
ご出産おめでとうございます。
いやあ、びっくりしたね。
昨日の夜、ブログで「上野駅で北斗星見送った」と書いていて、それに続く今日の記事が「うまれました!」。さすがだ。
予定日は7月と聞いていたし、てっきり、「隣のネコさんの赤ちゃんが!」みたいな釣り記事と思ったんだけど、読んでみたら本当だった(^^;。36週ながら、3000gの元気な男の子で、僅か20分ほどの超安産だったそうだ。代筆でなく、早速本人が報告しているのがすごい。
タレント時代は、「仕事頑張ってるなあ」という印象だったんだけど、最近は「幸せそうで素敵だなあ」と思いながらブログを見ている。
きっと、これからも幸せな日々を綴ってくれるに違いない。読んでますよー。
某商店街の24時間営業のマクド。
さっきから、窓際で若い女性2人が、窓の下を見ながら喋っている。
「今日、黒いのしかいないよ? 死んじゃったんじゃない?」
ニート一家を、上から眺めているのである。
「あの建物の隙間で死んじゃってるんじゃない?」
--いや、ないから。ひっこんでるだけ。ていうか、地面に食べかすが転がってるから、全員腹減ってないんでしょ。
「なんか痩せたんじゃない? 病気とかかかってるかも?」
--ないから。夏毛に変わっただけだから。
「茶色いのがいないよ? 死んじゃった? あたし好きだったのに!」
--あいつ、さっき隣のラーメン屋のぞいてたよ。
「ああっ!! 出てきた! よかった~~」
--そろそろ餌やりオバさんが来る時間なんだよ。ほら、来た。
「お腹空かせてるよね~ 必死にキョロキョロしてる!」
--いや、奴ら満腹だから。足下に食べかす転がってんの見えるでしょ。
「ボスが出てきたよ!」
--あれはボスじゃなくて、ただのニートだから。
……というようなことを、いちいち教えてやりたいのだが、逮捕されたくないので、じっと我慢している。
フォーマットに4時間もかかった(笑)。
いやはや、壮観ですな。
プログラムはすべてCドライブに入れている。
Dドライブ:ここにはないが、DVDスーパーマルチドライブ。バックアップしすぎでへとへとらしい。
Eドライブ:2003年購入、160GB。2004年以前の写真データはすべてここ。この頃はJPEGで撮影しており、かわいいもんだった。
Fドライブ:2005年購入、250GB。2005~2007年前半の写真データ。一部、2005年当時の編集データ等もあり。
Gドライブ:2007年購入、500GB。2007年後半~現在までの写真データ。観光協会等から提供された資料類もここ。カメラが1000万画素超えで、あっというまにいっぱいに。
Hドライブ:昨日購入。1TB(笑)。今後の写真データはここ。
I・Jドライブ:去年まで使っていたPCのシステムドライブ。
Pドライブ:2006年にノート用に購入した外付けドライブ。過去2回壊れているので、保存用には使わない。一時ファイル、がらくた、ゲームなど。
どこまで行くの。
打ち合わせの合間を縫って、秋葉原に来た。
画像バックアップ用のハードディスクを購入するためだ。
あの事件以来、秋葉に来るのは初めて。何よりもまず、献花台によって手を合わせてきた。僕の他にも、通行人が次々手を合わせており、小柄なおばさんが花を整理していた。
なんとも、言いようのない事件だった。
犯人には強い憤りを覚えるが、彼の心の闇に思いを巡らすと、暗澹とした気分になる。僕だって、もういくつかの不運と挫折を経験していたら、彼のような絶望感を感じていたかもしれない、と思うからだ。単純に、恐ろしい殺人者で済ませる気にならない。
だからといって、あの事件に同情やら共感やらを覚えるわけではない。ただ、彼にほんの少しの巡り合わせと楽観的な思考があれば、あの事件は回避できたのではないか、と思う。
アキバ系がどうの、ゲーム脳がどうの、格差社会がどうの、といった単純な話ではないはずだ。
さて、とうとう僕が買うハードディスクもテラバイトの領域に突入した。事務所のPCにつながるハードディスクは、これで7台目。合計で、2テラバイトにもなる。どこまで行くんだろうなあ。
で、日本海側を目指している。
こんなに乗ってるのかーと思ったが、熊谷、高崎でかなり下車。ホームライナーとしての役割も担っている。こういう夜行列車って、撮影やりにくいよね……。
ラウンジコーナーでつぶれているサラリーマン氏は、降りなくていいのだろうか。
この列車、高崎で乗り過ごすと、次は直江津だ(笑)。
もうひとりのおっさんは、ここを完全に寝台車と勘違いしているらしい。堂々とした態度で、横になっている。
こういう人がいるから、ゆとりある施設がなくなっちゃうんだよな。
に、飛び乗った5秒後。
「お客様にお知らせいたします。ただいま入りました情報によりますと、中央線は東小金井駅付近で信号機トラブルが発生し、安全を確認しての発車となります」
来たよ、おいらマジック。
「確認が取れ次第発車となりますので、ご乗車になってお待ちください」
今日はこれから上野駅に行って夜行に乗るのだ。写真を撮るので、早めに行くつもりだったのだが、このざまだ。
すぐにも発車しそうな口ぶりだったが、3分4分5分……、動かない。こりゃ、各停に切り替えるか。そう思った3秒後。
「お客様にお知らせいたします。総武線各駅停車も、現在安全を確認しております」
だからなんだよ、先手を打ったつもりか。
「中央快速線は、上下線とも順次運転を見合わせます」
こりゃやばい。長丁場になるかもしれない。こうなったら、時間はかかるが、山手線で回っていくか。上野駅での写真は、後日でも取れるからな。
10秒数えて、電車を降りた。誘われるように、数人が続いてくる。
階段を下り、15番線ホームを駆け上がる。と、山手線電車が目の前で加速して行った。
「……くっ」
次の電車は4分後。金曜の夜に、そんなに運転間隔あけないでよ。
じっと我慢して、次の電車を待った。やっと来た。酒臭い車内に入り、荷物を床に置いて吊革につかまった。顔を上げる。がくん、と電車が動き出した。
次の瞬間、僕は見た。
はるか向こうのホームから、東京行き快速電車がスルスル〜と加速していく光景を。
……今日は、何をやってもダメかもしれないな。
ネタ的においしい、と思ってしまう自分が、悲しかった。
> 沼津を出たところで、ぽつぽつと雨が降ってきた。お約束だ。
と、一昨日書きましたが、一夜明けたらそれどころじゃありませんでした。久しぶりに、集中豪雨で氾濫しかかった川ってやつを見ましたよ。被害が比較的少なかったのは不幸中の幸いでした。床下・床上浸水等の被害に遭われた方には、心からお見舞い申し上げます。
もう、取材にでるのやめようかなあ。
なんだか、こんなところにいるわけですが……。
僕の、全く預かり知らないところで、いつのまにか決まっていた不思議な仕事。このまま、ひとっ走り大分まで行ってきます。この列車、一緒につないでいる熊本行きは何度も乗っているけれど、大分行きに乗るのは、もしかして初めてだ。どうも、博多を経由しない日豊本線経由のブルートレインというのは、僕にとってマイナーな存在だった。
それにしても、車掌長が、明らかに僕よりも若いのはちょっとショック。ブルートレインの車掌長と言えば、昔は神様のように思えたもんだが、世の中若年化が進んでいるのだろうか。いや、そうではあるまい。
沼津を出たところで、ぽつぽつと雨が降ってきた。お約束だ。
岩手・宮城内陸地震で、土砂崩れに巻き込まれて建物が倒壊し、多数の犠牲者が出た、宮城県栗原市の駒ノ湯温泉。ここは、1990年8月7日に、レイルウェイ・ライター種村直樹氏と宿泊した宿でした。
その頃はまだ栗原電鉄だったくりこま田園鉄道に乗り、栗駒駅から1日2本のバスに乗って目指した温泉宿。そこは、期待に違わぬ素晴らしい宿でした。当時、僕は浪人中の身で、山奥の静かないで湯は、性格に合わない受験勉強ですり減らした神経を、たっぷり癒してくれました。
追悼の意味を込めて、その時の駒ノ湯温泉の様子を、種村さんの著作「気まぐれ列車も大増発」から引用・紹介します。文中に登場する「フロント氏」は、今回犠牲になった菅原孝夫さんと思われます。本当に、残念です。
なお、引用については、著者である種村さんの了承を得てあります。
-------------------------------------- ここより引用 ------------------------------------
「くりこま荘」を経て、「元湯駒の湯」玄関前の回転場に着いたのは16時前。日射しは強いが、風は心地良い。標高九〇〇メートルとかの檜枝岐のむし暑さとは雲泥の差である。
「いえいえ、こちらも昨日はむしたのです。ずいぶんしのぎ良くなりました。明日は山へいらっしゃいますか?」
「元湯駒の湯」フロントの男の人は、若主人なのかどうか、じつにてきぱきとした応対である。余計なことを何ひとつ言わないのもいい。山といっても登山客には見えなかったようで、朝一〇時のバスでいわかがみ平へ上がると二〇分ほど時間があり、そのバスが駒の湯一〇時五八分の栗駒駅ゆきになるとの説明だった。行者滝まで歩くと約7キロ、一時間以上かかるようで、すべては明日になって決める。
案内された部屋は西日が射し込んでいたが、日が落ちれば涼しさ保証つきとのこと。
(中略)
一人旅の気分を味わってきますと景が散歩に出かけ、僕はのんびり浴場へ向かう。初めての温泉場は、どんな湯舟か湯の質か楽しみなのだが、「元湯駒の湯」は期待を裏切らなかった。木の湯舟に、心もち白濁し、小さな湯の花が浮いた湯があふれ、ぬる目なのもありがたい。石膏硫化水素泉とある。さすがの僕でも、脱衣場へ戻ってタオルで肌をぬぐうと汗がしずまるのだから、かなり涼しいのだ。
西日の部屋は避け、ロビーのソファーに座を占めて、ビールを所望。宿のスタンプをはがきに押しながらグラスを傾けていたら景が帰ってきた。”一人旅”にしては早々の帰還だが、工事中で河原へ降りられなかったとか。
「うちを出たのは昨日だよねぇ」
「何かずっと旅行しているみたいで、信じられませんね」
こんな会話を交わす。昨日があまりにも長く、今日は深山の中で、とびきりのどかに過ごしているので、感覚がにぶってくる。
フロントには「満室」の表示が出ている。バスで来たのは僕たちだけで、宿の中にもあまり人の気配がないから、貸切バスでも着くのかと思っていると、ぱらぱら家族づれやペアがはいってくる。ここも、ほとんどのお客が自家用車なのだった。
一八時に食堂で早い夕食。イワナの塩焼きなどをおいしく食べる。暑中、残暑見舞いはがきの返事をしたためる。
(中略)
いつの間にか眠り、警報機ならぬ屋根をたたく音で目覚めた。もう白んでおり、時刻が昨日とまったく同じ五時四五分だったのはおもしろいが、驚いたことに雨がしとしと降っている。台風11号の前ぶれかもしれない。
八月八日、水曜日の朝になった。景は、ぴくりともしない。浴場へ行くと、皆夜が早かったとみえ、先客が三人もいた。降りましたねぇが、朝のあいさつ。そして書きかけのはがきのつづきに精を出す。よくしたもので、朝食時間の七時前には景も起きた。
朝食には魚の甘露煮が出て、二食付き六五〇〇円は安い。安いだけでなく従業員が気持ち良い。ほとんどアルバイトとパートばかりのようにみえるが、きびきびしている。九時ごろ、部屋の掃除が始まったが、バスの時間まで使っていいかと尋ねると愛想良くあとまわしにしてくれた。もうひとつ感心したのは宿のジュース類の自動販売機が町値段の一〇〇円だったこと。都会の宿でも、こんな値段はまずないのに、なんと良心的なことか。
(中略)
「今回は湯治でしたか?」
ロビーでバスを待っていると、フロント氏が問いかけた。昨夜来、レイルウェイ・ライターと見抜かれている感じがしないでもない。
「ええ、まぁ。六回はいりましたよ。じつに気持ち良くって。今日は栗原電鉄に乗ります」
「六回ですか……」
あきれたのかどうか、話はそこまでになった。
------------------------------------ 引用ここまで ------------------------------------
種村直樹著『気まぐれ列車も大増発』(実業之日本社/1992)
「浪人リフレッシュ気まぐれ列車」より
もう一人、同宿で犠牲になった、鉄道博物館学芸員の岸由一郎さん。彼は、昨年10月に放送された「タモリ倶楽部 超先行潜入!鉄道博物館」で、案内役を務めておられました。その時の様子を、YouTubeから紹介します。3分50秒あたりから、岸さんが登場します。
こちらは、著作権的にはアウトですが、できればこのまま残しておいてもらえることを望みます。
改めて、犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りします。
岩手・宮城内陸地震で被災された方に、心からお見舞い申し上げます。
そして、心配してくださった知人・友人の皆さん、ありがとうございます。地震発生時、僕は札幌から「スーパー北斗6号」に乗車しており、地震の影響はありませんでした。
ショックなのは、宮城県栗原市栗駒の、駒ノ湯温泉が倒壊し、行方不明者がでていることです。記憶が正しければ、この宿は1990年に、レイルウェイ・ライター種村直樹氏と宿泊した温泉旅館。山奥の一軒宿で、今ではあまり考えられないくらいにのんびりした時間を過ごせました。当時大学浪人中だった僕にとって良い息抜きになったものです。その旅の模様は、『気まぐれ列車も大増発』(実業之日本社/絶版)で作品にもなりました。
今も、宿泊客、従業員ら7人が行方不明とのこと。「今回は、湯治でしたか」と親しげに話しかけてくれたご主人のことは今も覚えています。
新聞社などの災害場所を示す地図が、手前にある「くりこま荘」を指していましたが、くりこま荘はホームページで全員の無事を表明しているので、被害を受けたのはその奥、行き止まりにある、僕らが宿泊した「駒ノ湯温泉」であるようです。
また、昨年廃止になったくりはら田園鉄道の資産保存について尽力していた、鉄道博物館学芸員の岸由一郎さんらも犠牲になってしまいました。直接の面識はありませんが、大変熱心な方と聞いていました。残念です。
犠牲になられた方々のご冥福を、心からお祈りします。
※6月16日追記しました。
東京は土砂降り。
先に現地に入っている、写真作家のMM氏から電話。
「今日よろしく。こっちドピーカンだよ」
「じゃあ、今から向かいますので」
「あ、明日からこっちも雨だって」
「……ううう、すみません」
「ま、しゃーないわな」
100%僕のせいです。ごめんなさい。
さて、と。
明日、旅立ちます。今週来週は、怒濤の汽車旅取材ラッシュ。明日は新幹線で北へ向かい、存亡の危機に立たされている、あの鉄道を金曜まで取材します。
土曜日は港町で、あるシンポジウムに参加し、一応そこでお仕事終了。日曜は、"なっちゃん"に会ってから、今まで未乗だった、海岸沿いを走るあの路線に乗ってきます。
最後はゴロンと眠って、月曜朝に帰京予定。
来週は、昔は豪華だったあの列車を取材して(これは仕事)、水陸両用のあの乗り物にも乗車(こっちは遊び)。さらに週末、今や貴重となった急行グリーン車を利用して、冬は線路をトンネルに仕舞ってしまうという、珍しい鉄道へ行ってきます。いやあ、20年ぶりくらいかな。
てことで、頑張ります。
秋葉原で、7人が死亡し、10人が負傷する通り魔事件が発生。
亡くなられた方のご冥福と、負傷された方の一刻も早い回復を祈ります。
秋葉原は、昨日の夕方に訪れたばかりだった。ちょっとした買い物があり、土曜か日曜の、どこかのタイミングで訪れようと思っていた。打ち合わせが予想外に早く終わったので、昨日のうちに訪れたのだが……。
現場は、僕もよく知っている交差点で、昨日もなんどか横断した。あそこには、いつもソフマップやメイドカフェの店員らが出て呼び込みをやっているが、大丈夫だっただろうか。
秋葉原をよく訪れている友人も多く、被害者の名前を読むときは、これまでになく緊張した。
それにしても。
事件に野次馬が出るのはしょうがないかもしれないけど、犯人や被害者の写メ画像を、コピーしてもらおうとする人だかりができたというのは、人としてどうなんだろう。
まあ、僕も現場にいたら、レンズを向けていたかもしれないので、同類とも言えるけど……。
新大久保の韓国・延辺料理店、金達莱でコリアンフードコラムニストの八田靖史くんら、韓国関連の友人と軽い飲み。八田くんに会うのは、ずいぶん久しぶりだ。
彼は僕のブログを見てくれていて、「写真集・秘境駅」の件も知っていた。その彼が、僕に訊いた一言。
「で、坪尻駅は入るんですか?」
……八田くん、秘境駅と聞いてその駅名が出てくるのは、相当なヲタ、いや、鉄道ファンですよ。そうか、そうだったのか。八田くんも、実は隠れテツだったのか。
「いや、学生時代にたまたま通りかかって、遠くから見ただけなんですけど」
ますますあやしい。あの駅を「遠くから見る」なんて、そうそうできるもんじゃない。部活がどうの、と身の潔白を力説していたが、簡単に信じるわけにはいかない。
「八田靖史くん隠れ鉄道ヲタク説」が持ち上がった、衝撃の一夜であった。
ちなみに、坪尻駅はこんな駅。もちろん、今度の写真集にも収録される。
と言うわけで、京都の京福電鉄嵐山本線で、列車を借り切ってのワイン&チーズパーティに参加してきた。久しぶりの、純粋な遊びの汽車旅。いやあ、楽しかった。
今回の企画は、以前からお世話になっている鉄道グッズの製作・販売会社サンショップのプライベート企画。鉄道アーティストである小倉沙耶(こくら・さや)さんからワインとチーズの話を聞きながら、路面電車の旅を楽しむというものだ。
小倉さんは、以前からリンクをはらせていただいていたが、実は会うのは今回が初めて。鉄道、特に貨車についての知識とこだわりが半端でなく、「鉄子」などというはやり言葉で呼ぶこと自体が失礼にあたる?人だ。と言ってガチガチのヲタではなく、ブログからは、鉄道とその沿線の人々への愛情が伝わってくる。
後ろの人の手がヘンなところに生えてしまいましたが…… じゃんけん大会?での小倉さん
さて、今朝は11時に京福電鉄西院駅に隣接した電車区に集合。記念撮影などをした後、12時半ごろ貸切電車で発車した。車両は、いったん運用から退きながら、今年3月に現役復帰を果たしたモボ301.参加者は、日ごろサンショップと関わりの深い鉄道ファン約40人だ。
「ドイツワインは白ワインが主体で、甘口が多いのが特徴です」(と言っていたような気がする)
いつもブログで、僕の到底及ばない鉄道知識を披露してくれる小倉さんだが、ワインやチーズについても造詣も深い。僕はたまたま座席が小倉さんの隣になり、カメラ小僧と化してしまったが、楽しい時間をすごすことができた。ワインとチーズを味わいながら路面電車に乗るなんて、そうそうできる体験ではない。何種類か飲み比べた結果、僕は、ワインを単独で飲むなら甘口、料理と一緒にいただくなら辛口が好きなようだ。
あっという間に嵐山に到着。折り返しを待つ間、1時間ほど駅の周囲を散策した。さすがに日曜とあって、駅前は大変な賑わい。修学旅行生も多かった。
再び貸切電車で西院に戻った後は、2次会と称して嵯峨野観光鉄道を訪れた。線路付け替えで廃止になった山陰本線の旧線を利用したトロッコ列車で、保津峡の眺めをたっぷり楽しめる。開業から15年以上が経過したが、列車は満員。この地域を代表する観光スポットに育ったようだ。やっぱり、日本人は鉄道が好きである。
久しぶりに羽を思いっきり伸ばした日曜だった。
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