« February 2008 | Main | April 2008 »

2008.03.30

【韓国】教保文庫で資料を購入

Img_7730

 取材をこなしたり、ホテルで仕事をするための資料を、韓国最大の書店、教保文庫で買ってきた。

IMG_7731

 まず最初に購入したのはこれ。韓国の時刻表だ。去年まで3000Wだったのに、いつの間にか5000wに大幅値上がりしている。内容はたいして変わっていないのに、困ったことだ。しかし、3月号がちゃんと3月に売られているのには感心した。少し前までは、ひと月遅れの号を売るのが当たり前だったのに。

 次に購入したのは、これだ。

IMG_7733

  ……えーと。……JTBの時刻表ですね。

仕事で必要なのである。最近は鉄道関連の仕事が多く、こちらで書かなくてはならない、鉄道関連の記事がある。小さい時刻表は持ってきていたが、やはり大型が必要になった。やむを得ない購入である。ちなみに、教保文庫は昔から毎月JTBの時刻表を仕入れている。どうしてJR時刻表ではなく、JTB版なのかはわからないが、国鉄監修時代からの習慣なのかも知れない。値段は、日本で税込み1050円のところ、1万3220W。ま、1400円といったところか。

 そして、最後に永豊文庫に移動して購入したのが、これ。

IMG_7734s

……。

仕事の資料です。

いやほんと。

ウソじゃないです。

今度、某所でこういうネタ書こうと思っているのです。

いやあ、ライターという仕事は、興味がなくてもいろいろ資料を買わなくてはならないので大変だなあ。まいったまいった。

おおっ、これはっ 日本版にはない キャラクタースタンドのおまけがっ

| | Comments (4) | TrackBack (0)

【韓国】梨花に到着

さて、韓国に到着したはいいけれど、早速悪戦苦闘中。

まず、昨日宿泊したレジデンスホテルの部屋に、インターネットがなかった。これはよく確認しなかった僕のミスだが、韓国の今どきのレジデンスホテルで、ネットが使えないという事態は、全く考えもしなかった。

ロビーに3台だけPCがあったが、中国人団体客のゲームセンターになっていた。恐ろしいことに、ホテル周辺を歩いても、PC房(ネットカフェ)すら見かけない。そういうわけで、週明けまでに必要な原稿書きは今日に持ち越し。例によって天候が悪いこともあり、予定を返上して、無線LAN環境のある「韓方エステ梨花」に来た。

ここは、昔からお世話になっているうらかわひろこさんのお店だ。今日は日曜日でお休みだが、うらかわさんにお願いして鍵を預かった。

IMG_7705

午前中にさくさくやって……と思ったが、午前中にもやっぱりちょっとしたトラブルがあり、結局到着したのは昼過ぎ。どうやら、今日は1日原稿書きになりそうだ。

DPP_0002

預かった鍵で扉を開け、中に入ろうとした瞬間、背後に気配を感じた。

DPP_0001
じぃー

でたぁー

IMG_7700 
「あんさん、何しとんのや」

さすがは、梨大の猫である。薄汚いのは韓国のノラネコの仕様だが、目つきがおだやかで、微かに愛嬌を感じる。かわいくない。

この辺りには、韓国にもかかわらず、エサやりのおばさんや女子大生がいるのである。

仕事をするうちに気づいたが、この区画には少なくともオス猫が3匹はいる模様。いずれも、エサをもらっていないと有り得ない体格である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.03.29

1年ぶりにソウルへ

1年ぶりにソウルへ
超久しぶりの更新だ。今から韓国行ってくる。

それにしても、いかにソウルに行っていないかを痛感した。

なぜって?

成田のターミナル、初めて間違えましたよ。
スターアライアンスは、第1ターミナルでしたね……。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.03.20

まもなくお別れ、三木鉄道

0049

 師匠のレイルウェイ・ライター種村直樹氏と、三木鉄道に乗ってきた。今回種村センセに同行している本当の目的は別にあるのだが、3月末で廃止になる三木鉄道には、レイルウェイ・ライターとしてもどうしても乗っておきたかったのだろう。

三木鉄道
兵庫県加古川市の厄神駅と三木市の三木駅を結ぶ第3セクター鉄道。1916年に播州鉄道として開業、戦争中の1943年に国有化され、国鉄三木線となった。その後国鉄再建法によって第一次特定地方交通線(1981年度までに廃止方針)に指定され、1985年、第3セクター(官民共同による法人)三木鉄道に転換された。神戸や大阪とは逆方向へ向かうという不便さ、全長6.6kmという短さなどがネックとなり、その後も輸送は低迷。路線廃止による支出削減・財政再建を公約に掲げた薮本吉秀新市長が社長に就任し、命運が決まった。2008年4月1日廃止予定。

 実は、三木鉄道は個人的に2月にも訪れた。その時は時間があったので全駅乗下車にチャレンジしたが、駅間が短く、徒歩を組み合わせたら3時間ほどで達成できた。のんびりとした田舎の風景が続く沿線風景とあわせ、手軽な汽車旅に最適だったが、確かに経営は厳しそうだ。東京で例えるなら、高尾駅を起点とし、拝島駅の1km西に終着駅・西拝島駅がある路線、みたいな感じだろうか。人の流れと合っていなかった。

 そんな小さな鉄道だが、レールやコンクリート枕木といった施設は、赤字ローカル鉄道とは思えないほど立派だ。この小さな鉄道の発展と再生を本気で願い、整備を進めた人たちがいたのだろう。そのことを思うと、かえって寂しい。

 官と民のいいとこ取りと言われた第三セクター鉄道だが、今ではその経営形態がある意味足かせになっているのではないか。財政再建の名の下、地域鉄道への支出を「無駄」と考える勢力が首長になれば、あっという間にその鉄道は命運がつきてしまう。昔から国鉄・JRにばかり目が行っていたが、今は全国の第三セクター鉄道に乗りに行ってあげるべきかもしれない。

0053

 さて、今日は廃止2週間前とあって、終点三木駅の駅舎内にグッズ販売のコーナーが設けられていた。その中に、知った顔を発見。鉄道グッズの製造販売を手がけるサンショップの、吉田さんだ。

 僕に勝るとも劣らない黒い肌で、いつもニコニコしている吉田さんは、鉄道への愛情が嵩じて今の会社を興した人だ。整理整頓が苦手な僕は、いわゆる「収集鉄(コレクター)」とは無縁だったが、吉田さんと知り合って、その楽しさを少し知るようになった。

 良い機会なので、吉田さんに種村センセを紹介。センセは、いまひとつ吉田さんがどういう人なのか分かりかねている様子だったが、あとでたっぷり説明しておいた。もう少し時間があれば、もっと話せただろうに、ちょっと残念。吉田さん、ありがとうございました。

0051

 しとしと降る雨の中、12:37発の厄神行きで引き返す。車中、三木駅前にある有名なコロッケを買いに来たという大阪の女性グループと話がはずみ、コロッケをお裾分けしていただいた。これを買いたいがために、わざわざここまで来たのだとか。今どき、こんな車内の交流も珍しい。三木鉄道がくれた、最後の旅のプレゼントと思いたい。

0052

| | Comments (0) | TrackBack (1)

2008.03.18

チェックイン

チェックイン

 ソウルの高級ホテルはあちこち泊まったが、この街でこんなハイグレードなホテルに泊まるのは初めてだ。

 トレインビューを所望したが、アップグレードが必要とのこと。それでも、最上階……17階の部屋にしてくれた。

 明日7時にチェックアウトしなくてはならないのが惜しいが、明日は明日で楽しみ?がいっぱいなので良しとしよう。明日は……5001007000、なのである。

 さて、今夜は緊張のイベントだ。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

突然、円高

1ドルがあれよあれよという間に100円を切ってびっくりしていたら、対ウォンレートも激変していた。

ソウルナビによれば、韓国外換銀行のレートで、100円=1040W。

えええええ。

ついこの前、記事を書くために調べた時は、100円=800W強だったのに。

僕が韓国に留学した2001年当時、日本円と韓国ウォンのレートは、「日本円にゼロをひとつ足せばほぼ韓国ウォン」という関係だった。2002年に円安ドル高の波が来ると、100円あたりのウォンレートは1000Wを割り込んだが、その後2006年頃までは100円=980Wくらいをうろうろしていたように記憶している。

しかし、2006年から急激なウォン高が進み、100円=800W台に突入。これまで1000円あれば1万W札が買えたのに、1200円以上に値上がりしてしまった。僕のように、日本から頻繁に韓国へ行く人間には、大変な痛手だった。

逆に、韓国側から見れば、これまで10万W出さないと買えなかった1万円札が、8万W台に値下がりしたようなもの。これが起爆剤となって、今韓国は空前の日本旅行ブームだ。

それが、ここ数週間であっという間に2001年水準に戻ってしまった。僕にとっては朗報だが、旅行業界にとっては微妙な話に違いない。せっかく日本の業界が韓国人旅行者の受け入れ体制を整えつつあったのに、これでは韓国人の日本旅行熱に冷や水を浴びせかねない。

経済は素人だが、ちょっと不安を覚える、急激すぎる動きではある。今のうちに、米ドルでも買っておこうかな。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2008.03.15

さよなら急行「銀河」

 小学生の時、東京駅を次々と発車していくブルートレインを撮りに来た東京駅10番線ホーム。ここから、今日、大阪行き寝台急行「銀河」が最後の旅に出る。

0034

 東京駅に到着したのは21時過ぎ。ホームへ向かうと、すでにコンコースから普段とは違う空気に包まれていた。

0035

 行き交う人が皆足を止め、電光掲示板をカメラに収めていく。「なに、なに? 芸能人?」と、事情を知らずに集まってきた人も多かったが、「50年以上走り続けた歴史ある夜行急行が今日でなくなるんですよ」と説明すると、多くの人が「それなら」とケータイを取り出した。とても鉄道に興味のなさそうな人も多く、鉄道趣味が、少しずつ、市民権を得てきたことを感じる。

0046

 22時過ぎに、ホームに上がった。この1カ月で、3度目の10番線。しかし、今日の雰囲気は明らかに普段とは違う。すでに、ものすごい人。テレビや新聞社も大勢来ている。

0036

 10番線ホームにある発車時刻表は、いまだにどことなく「汽車駅」の面影が残っている。かつては、ここに急行「東海」、寝台特急「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「富士」「瀬戸」「出雲」「紀伊」といった優等列車がずらりと並んでいたが、今では見る影もない。

0037

 急行「銀河」の廃止は、単に一列車の廃止に留まらない。東京駅から急行列車が完全に消えることを意味する。都内に入る急行列車は、「能登」を残すのみ。それも、北陸新幹線が開業するまでかもしれない。

0038

 22時19分、普段より4分早く、101レ急行「銀河」大阪行きが入線してきた。ものすごい人。歓声と拍手、そして怒号。この手のイベント時は、必ず怒鳴り出す心ないファンがいる。やめてほしい。

0039

「あれ、栗原さん」

 自分を呼ぶ声に気づいて振り返ると、木村裕子さんがいた。今日はオフだそうで、完全に一ファンとして見送りに来たそうだ。

0040

 横見さんと牛山さんのサイン会の時もそうだったが、彼女は私服でいる時は基本的にとてもおとなしい。 この日はさすがに「木村裕子さんですか」などと話しかけられることもなく、完全に1人のファンと化していた。

0042

 神田側についていた機関車を、進行方向である品川側に付け替える「機回し」。かつては、10番線と12番線の間にホームのない「11番線」があり、そこを通って機関車を回送していた。しかし、11番線以降が新幹線のホームに飲み込まれてしまった今は、9番線ホームを使っている。このため、10番ホームに寝台列車が入っていると、9番線に電車を入れることができず、これも寝台列車がJRに嫌われる一因となっていた。

0043

 このマークも、今日で見納め。「急行」の文字がまぶしい。この日は、ファンが手作りした「さよならサボ」もゲリラで5分ほど貼られた。大変な人だかりになったのは言うまでもない。

0048

「銀河号、発車2分前です!」

 ファンが増えてからか、いつものことか、銀河が発車するときは、5分前から1分ごとに放送が流れる。これを聞くのは今年3回目だが、毎回頭をよぎる妄想がある。

「各線、出発信号機確認しろ! レールファンは待避急げ! 101、発車1分前!」
「銀河(そら)か……」

 ……いかん、そんなことを考えている場合ではない。

 その時が来た。23時。発車ベルが鳴り終わる。大変な人出だが、奇跡的に定刻に発車するようだ。

「乗車終了!」
「列車が動きます! 下がってください!」
「銀河号、発車!」

ピィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ! 

長い、長い汽笛が鳴り響き、「銀河」は動き出した。ゆっくり、ゆっくりホームを離れていく8両+1の青い車体。もう、この車両は東京には帰ってこない。

「ありがとう!」「お疲れさま!」

 拍手に混じって、ヲタの人たちの声が聞こえる。普段なら、どうかと思ったかもしれないが、今日ばかりはちょっと胸に迫るものがあった。

0033
最後の旅路に出る最終「銀河」

 東京駅に残るブルートレインは、「富士・はやぶさ」の一本のみ。それも、長くて来年までの命だ。嗚呼、ブルートレインブームは今何処。東海道から、夢が消えていくなあ……。

| | Comments (5) | TrackBack (1)

2008.03.14

終了。

終わった……。
疲れた……。
今中央線。
レポは、この後すぐ書きます。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

東京駅10番ホーム

Image0381_2

さあ大変なことになってますよ!

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.03.11

1年ぶりのソウル

29日出発、4月9日帰国という日程が確定した。

いやー、ソウルは実に1年ぶり。焼失した南大門はもちろん、明洞や梨大などが、どれくらい変わっているか楽しみだ。

2社の取材に執筆も重なっており、ちょっと忙しくなりそうだけど……。頑張らなくては。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.03.10

物欲魔王、ではなくて……

 大ピンチなのである。

 何って、カメラの話だ。

 今年に入り、撮影の仕事が激増している。特に3月は大変なことになっていて、1日以降、すでに3000カット以上撮影している。昨年8月31日に、5年使うつもりでEOS40Dを購入したが、すでに通算撮影枚数は2万5000枚を超えた。40Dのシャッター耐久性は、10万回と言われている。このペースで仕事を続けると、確実に1年半でシャッターの耐久性を越えてしまう。

 実は、僕の40Dには「破壊神」様の足音がひたひたと忍び寄っている。

 今日、撮影中に、突然エラーを頻発し出したのである。標準レンズであるEF-S17-55F2.8ISを装着した時に、時々絞り値が「00」になり、「レンズとの通信に失敗した」と出るのだ。このレンズを装着したとき、接合部分にわずかなガタがあるのは以前から気になっていた。とりあえず、ぐいっと押し込むように装着し直せば正常に動作するが、標準レンズでこの症状は、はっきりいって危ない。

 さらに、内蔵ストロボに不具合がある。ストロボを出すポップアップ機構に何らかのトラブルがあるらしく、ほぼ50%の確率で、ストロボが上がらずエラーが出る。ストロボを留めているピンが、微妙にずれているのかもしれない。

 そういう状況な訳だが、はっきり言って40Dと標準レンズを入院させる時間がない。予備機となっているEOS10Dは元気だが、今僕が引き受けている仕事は、1000万画素でも最低ラインであり、600万画素の旧世代機ではお話にならない。

 そうなると、もう一台1000万画素クラスの一眼レフを購入、というコースが現実問題となってくる。

 そんな金があったら、SIGMAのDP1を買いたいところだが、今日のように被写体が接近している状況でエラーを出されたら、仕事にならない。

 となると、KissX2か、40Dあたりを、もう一台買う、という話になる。

 今持っている40Dがもう一台あれば、便利なことこの上ないが、購入の喜びは全くない。一方、新型のEOS KissX2は、7万円台と安価でありながら1220万画素を備え、小型ということもあってサブ機にぴったりだ。しかし、バッテリーが40Dとは異なるので、別々にバッテリーと充電器を持ち歩かなくてはならない。それは、面倒だ。

 いや、それ以前にお金ありませんから。

 さて、どうしたものか。

 って、「買わずに今後も一台で済ませる」という選択肢は、もうほとんど残されていないんだよな……。どっから予算立てようか……orz。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

2008.03.09

秘境駅で見つけた…

0029

そういうわけで、地方取材から帰ってきた。

今朝撮影で訪れた、とある無人駅。周囲には人家も少なく、いわゆる秘境駅と呼ばれる駅のひとつである。

 その、注意しないと見過ごしてしまいそうな案内板の隣にある小屋の脇に、意外なものを見つけた。

0027

 ……ネコ之墓。

 感動した。

 世の中には、ペット霊園というものが数多くあり、お金を払えば個人墓地、つまり墓石を作ってくれるところもある。

 だが、私有地に置かれた、これほど本格的なネコの墓を、僕は知らない。

 よく見れば、墓地の後ろにはキャットフードの袋が掲げられている。生前、好んで食べた(というか好んで与えられた)フードなのだろう。

0028

  ペットを、ことさら人間のように扱うことには必ずしも賛成しないが、こいつはきっと幸せな一生を送ったに違いない。これも何かの縁なので、軽く手を合わせてきた。次に訪れたら、地元の人に訊いてみよう。

 ここのところ、葬儀ネタが多くてすみません。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

2008.03.07

次の目的地へ

次の目的地へ

無事銀河の旅を終え、すぐに折り返して次の目的地へ。
1月の終わりにも一泊した駅で各駅停車に乗り換えた。

この後は、蒸○機●車の動態保存のパイオニアであるあの路線へ向かう。

天気は、何とかもちそうだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

急行「銀河」取材中

6号車13番上段寝台で就寝中。列車の取材というのは難しい。
あっと言う間に、電気を消されてしまった。
レールの音を聞きながら、暖かい布団に潜り込むのは、やはり楽しい。お、静岡到着。今日はちょっと遅れている。

では、おやすみなさい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.03.06

再開

 1週間ぶりの更新。

 実は先週、このブログでも何度か紹介した、祖父が他界した。享年95(満94歳)。結局、最後まで病とは無縁のまま旅立った。

 じいちゃんは、僕が生まれる前から、僕の実家の1階で紳士服店を営んでいた。その店をやめてからも、母と一緒に喫茶店を営み、僕が高校にあがるくらいまでは毎日顔を合わせていたものだ。それだけに、晩年あまり遊びに行けなかったのは残念だ。後悔先に立たず、である。

 それでも、年末にお見舞いに行ったときは、珍しく意識がはっきりしていて、しばらく話すことができた。「仕事、しっかりやりなさい。(僕の母)さんによろしくね」。それが、僕が聞いたじいちゃんの最後の言葉だ。あの日に見舞いに行って、本当に良かった。

 晩年は、祖母や叔母夫婦と静かに暮らしていたので、こぢんまりとした葬儀になるかと思っていたが、驚くほど多くの方が参列してくださった。いつもジャケットを着て帽子を被り、涼やかに散歩をするおじいちゃんとして、近所でも評判だったそうである。

 僕は長男の長男だが、いまだ収入の不安定なフリーライター。親はもちろん、親戚にも多大な迷惑をかけている。

 じいちゃんに言われた通り、しっかりやらなくてはならない。

 明日から西へ取材。下旬からの韓国取材も、ようやく確定しそう。ブログも、また再開します。

 

| | Comments (3) | TrackBack (0)

« February 2008 | Main | April 2008 »