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2007.02.28

不二家中野ブロードウェイ店

不二家中野ブロードウェイ店
不二家の清掃が始まっていた。
いよいよ、営業再開が近いようだ。

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急性腰痛症の顛末2 救急車搬送記

「消防ですか、救急ですか」
「救急をお願いします」
「はい、それでは住所を町名からお願いします」

 23日、金曜の17時過ぎ。僕は、玄関のすぐ近くに立って119番に通報した。ここまで来るのに、10分以上。少しでも身体を動かすと身体が痛む。

「どのような症状ですか?」
「ぎっくり腰なんですけど……」
「はい、ぎっくり腰、了解しました。すぐそちらに向かわせます」

 ぎっくり腰での救急出動は珍しくないようだ。ほどなくPHSが鳴った。

「こちら○○救急隊です。ただいまそちらに向かっておりますが、到着までに大体の状況を把握させてください」

 症状について、いくつか質問され、こちらも淀みなく答える。

 5分ほどして、遠くから救急車の音が聞こえてきた。近所には、子供の頃から知っている人も大勢いる。あまり見られたくないな。おそるおそるドアのところまで進むと、救急隊員が階段を上る気配がした。

「くりはらさんですね。私もね、腰をやったことがあるんです。それではね、ご自分のペースで、ゆっくりで結構ですから、下まで歩いてみましょう。慌てなくていいですよ」

 担架は階段の下にある。僕は身体を揺らすだけで激痛なのだから、下手に肩を貸したりするより、ゆっくりでも自分で歩いた方が楽なのだ。

「はい、それでは私が鍵をかけます。火の元は大丈夫ですか。見ていてください……はい、鍵を閉めましたね。開きません。では、こちらのポケットに入れさせていただきます」

 隊員は両腕を広げ、しかし僕の身体には触れずに背後に立った。僕が転倒しそうになった時の備えだ。

「くりはらさん、真っ直ぐ立っていれば楽でしょう」
「はい、でも少しでも上半身を傾けると痛むんです」
「わかります。本当に、我々のことは気にしなくていいですから、ゆっくり、ゆっくり進んでください」

 一歩、一歩、おそるおそる階段を下りる。足が地に着くたびにしびれるような痛みを感じるが、身体を傾けていないので我慢できる範囲だ。人間、直立姿勢の時が一番腰に負担をかけないということがよくわかる。

 階段を下りきると、担架が用意されていた。ここに横たわるのに、また一苦労。腰に負荷をかけない姿勢を探りつつ、左手を担架につき、少しずつ、少しずつ、身体が担架と平行に近づくように傾けていく。最後はどうしても身体を曲げざるを得ず、一瞬強く痛んだ。

 狭い担架だが、仰向けに横たわればすっと身体が楽になる。腰の位置に厚いクッションがあり、人間工学に基づいた構造らしい。幅は50 cm少々と思われ、「20系寝台よりちょっと狭いかな」などとマニアなことを考えてしまう。青空を見上げる姿勢となり、気持ちがいい。

 大通りまでガラガラと運ばれ、いよいよ救急車に搬入だ。最後は隊員の手によって持ち上げられるのだが、実にスムーズ。衝撃は全く感じない。さすがはプロだ。

 搬入が完了すると、早速救急車は走り出し……と思いきや、そうではなかった。行き先が決まっていない。

「くりはらさん、どこかかかりつけの病院はありますか」
「普段はK診療所に行くことが多いですが、N総合病院でもいいです」
「いやね、N総合病院にさっき電話したら、ベッドがないっていうんですよ」
「入院の可能性もあるということですか」
「うーん、私からは何とも言えないのですが」

 隊員の顔は笑っている。万が一のことを考えて、ということのようだ。ただ、僕としては一泊くらい入院になったほうが、医療保険が下りてありがたい、気もする。

「新宿の××大学病院はどうですか」
「あ、そこなら私の仕事場にも近いのでわかります」
「帰る時大変じゃありませんか」
「タクシーなら1000円ちょっとですから、大丈夫です」

 こうして××大学病院に電話をし、受け入れOKの返答をもらった。救急車も大変である。

 搬入から約5分。救急車はピーポーパーポーとサイレンを鳴らして走り出した。右腕で血圧を測り、たぶん脈を取るのだろう、左手人差し指にクリップのようなものをはめる。こちらは、横になっていればほとんど痛まないし、だんだん申し訳なくなってくる。

『救急車赤信号を通過します。しばらくお待ちください』

「あの……、命に別状はないんで、赤信号とか通過しないでもいいんですけど。あと、サイレンも」
「いやいや、そういうわけにはいかないですよ(笑) 」

 救急車というのは、乗り心地がいいものだ。患者にショックを与えないように、特別なサスペンションを装備しているのかもしれない。担架も寝心地が良く、このまましばらく寝ていたい気もしてきた。

 だんだん和んできて、胸からぶら下げたW-ZERO3esについて雑談したりするうちに、病院到着。僕は仰向けのままなので、状況が全くわからない。廊下をガラガラ走り患者や看護師が大勢いるところに出た。目の前に見える扉が、整形外科の診察室のようだ。

 若い男性の医師に症状について詳しく訊かれ、背中を押して触診される。足に痺れはありませんか。内臓の病気の経験はありますか。背中の右側がやけに凝っていますね……。右側が凝っているのは、おそらくカメラマン病だろう。重いカメラバッグを担いで活動するうちに、身体がゆがんでしまうのだ。

 触診による暫定の診断が下ったところで、3人の救急隊員は帰っていた。皆さんどうもありがとう。出動からここまで約40分、人的負担は相当なものだ。このサービスが無料というのは、今まで当たり前と思っていたが、大変なことである。

 痛み止めの薬をもらい、ベッドに横たわったままレントゲン室に運ばれて今週2度目のレントゲン撮影を行った。そのまま、診察室の脇にある休憩スペースへ。入院まではいかない患者が、一時的に休む場所らしい。一人分ずつカーテンが引かれ、周囲の様子は声しかわからない。隣から、小学生の母子らしい二人の話し声が聞こえる。「後で安楽亭に行こうよ」「お母さんペッパーランチがいいな」。たしかさっき、医師から「脱腸です」と診断されていたはず。息子さんの無事を祈った。

 先ほどの医師が来て、レントゲン写真を見ながら病状説明。要するに典型的なぎっくり腰なので、薬を出すから家でゆっくり休めとのこと。痛み止めがなかなか効かないので、しばらくここで休ませてもらおうと思ったが、5分おきに年配の看護師が怖い顔で覗き込むので、無理矢理起きた。やっぱり痛いので、コルセットを付けて帰路につく。

 結局、あれだけ救急隊の手を煩わせて、受けた治療は痛み止め一本とコルセット1個だけ。なんだか申し訳ない気分である。

 ぼさぼさの頭とフリース姿で痛みを堪えながらタクシーに乗り、通報から約3時間で帰宅した。タクシーに乗れたということは、痛み止めが効いたのだろう。この後また起き上がれなくなり、どうにか痛みが減って来たのは、日曜の夜になってからだった。

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2007.02.27

急性腰痛症の顛末1

 火曜日に思わぬMRI検査を命じられ、ほぼ1日潰してしまった翌日は、都内数カ所を回って1日打ち合わせ。この頃から、腰の右後ろ辺りに微妙な違和感を感じていた。

 夜になって、徐々に痛みが増してきたが、肩こりのようなものくらいに考えた僕は、シャワーを浴びて、違和感のある辺りをよく暖めてほぐした。

 後から考えると、これがまずかった。捻挫の一種であるぎっくり腰は、暖めたりもんだりしてはいけないのだ。血流が活発になり、炎症が広がってしまう。捻挫などの外傷は、まず冷やして熱を発する炎症の活動を抑えることが第一だ。逆に、肩こりなど血行不良の症状に対しては、暖めるのが良い。

 ぎっくり腰というと、重いものを持ったときにいきなり「グキッ」と発症するイメージがある。しかし、僕のように最初はたいした痛みではなかったのが、徐々に強くなるケースも多い。ゆっくり休んでいれば持ち直すのではないかという期待を裏切り、症状はどんどんひどくなっていった。翌木曜、気がつけば布団から起き上がるどころか、寝返りさえうてない。咳をしただけで激痛が走る。木曜の昼近くになって、ようやく僕は自分がぎっくり腰にやられたことに気づいた。

ぎっくり腰
 急激に発生する腰痛のうち、レントゲンでは異常が見られないものの総称。腰や骨盤の筋肉、筋膜、じん帯、軟部組織等が損傷し、捻挫した状態になって炎症を起こす。身体の支点であり、体重を支える部位であるがために、ひどい状態になると身体をほとんど動かせなくなってしまう。特効薬はなく、ビタミンなどの栄養を摂って充分休息をとるしかない。

 朝から何も食べていなかった。唯一自由に動かせる腕を伸ばすと、届く場所にチョコレートの箱があった。ナントカデーに、友だちからもらったチョコレートだ。これをひとつぶずつ食べて飢えをしのぐ。気分は、太平洋の漂流者か、吹雪に見舞われた登山者だ。もし、一人暮らしの人が電話に手の届かない場所でぎっくり腰を発症したら、あるいは命に関わるかもしれない。

 幸い、PHSのW-ZERO3とソフトバンク905SHが、充電器につながった状態で枕元にある。いざという時はこれで助けを求めればいいし、ネットやメールも使える。zero3でぎっくり腰の対処法を検索し、読みあさる。たいていは、「絶対安静、一番ひどいのは初日で、2~3日たてば動けるようになるので病院へ行くこと」と書いてある。今晩を乗り切れば、明日は動けるようになるということだ。少し安心した。

 夜になって親父が帰ってきたおかげでなんとか食事にありついたが、痛みは金曜日になっても収まらなかった。それどころか、普通に寝ているだけで、腰に体重がかかって痛むなど、むしろ酷くなってきている。

 だんだん不安になってきた。もしかしたら、ぎっくり腰ではなく、腎臓など内臓の疾患なのかもしれない。それなら、一刻も早く医者に診てもらわなくては。しかし、この身体では病院まで歩いて行くのはもちろん、タクシーに乗るのも不可能だ。となると、手はひとつ。

 僕は、さんざん迷った末に、自分で119に通報した。

(つづく。どんどん爺くさいブログになっていくな……)

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2007.02.26

渡韓延期。その原因とは

 今日韓国へ行く予定だったが、まだ東京にいる。

 この前のMRIとは無関係だが、木曜朝に体調を崩したため、延期した。

 その原因とは、「急性腰痛症」。まあ、なんだ、世間一般で言うところの、「ぎっくり腰」という奴だ。

 2004年元旦に「ぎっくり背中」におそわれて以来、3年余りこの手の症状とは無縁だったが、今回は強烈だった。

 「ぎっくり腰」というと、お年寄りが起き上がったり物を持ち上げた時にグキッ、アイタタタ……というイメージがあるが、実際にはそんな生やさしいものではない。痛いどころか、身体全体が激痛によって麻痺してしまう。首と腕以外動かすことができず、咳をしただけでも激痛が走る。ネットや知人の話を聞くと、十代から慢性化している人も多く、誰にでも起こりうる怪我らしい。

 その原因は色々あるものの、最も多いのは腰の骨盤に付着している組織が損傷し、炎症を起こす症状だ。要は、体重を支える部分が捻挫してしまうのだ。

 思うに、「ぎっくり腰」という通称は、「痴呆症」と同様、不適切な表現ではないだろうか。「ぎっくり」というユーモラスな響きが、実際の症状の深刻さをスポイルしている。一人暮らしで、携帯電話にも手の届かない場所でぎっくり腰を患ったら、場合によっては餓死の危険すらある。

 僕の場合は、木曜に発症し、今(月曜夜)ようやくある程度動けるようになった。まだかがむことはできず、靴や靴下を履くのは一苦労だ。

 この1週間でかなり体力が落ちており、再発の危険も大きいので、韓国行きは早くて来週後半になるだろう。締め切りがあるので、なるべく早く行かなくてはならないが……。

 腰痛症に悩む人も多いと思うので、次回は今回のてんまつを詳しく記そうと思う。

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2007.02.22

MRI初体験

 僕の膝は、もう一年余り爆弾を抱えている。ふだんはそれほどでもないが、悪化すると負荷をかけた時に痛みが走り、ひどいと水が溜まるのだ。

 何度か病院で診てもらっていたものの、なかなか良くならない。そこでしつ関節専門の医師に診てもらったところ、 MRIを撮ることになった。MRIと聞くと、腫瘍の疑いなどを想像してしまうが、

「結果は、帰国後に聞きに来てくだされば結構です」

 どうやら、深刻なことではなさそうだ。調べたところ、椎間板ヘルニアなど、軟骨関係の病気もMRIで検査するものらしい。

 その病院にはMRIの設備がなく、事務所から歩いて10分のところにある某病院を訪れた。

 受け付けを済ませ、ロビーで待つ。世にも暗い表情で、一点を見つめて座っている中年のおじさん。どんな病気を調べにきたのだろう。名前を呼ばれて問診室に入ると、待っていたのは白衣ではなくジーンズ姿の女性だった。病院らしさをできる限り抑えようということだろうか。

 足の検査なので着替える必要はなく、更衣室でベルトなど金属製品だけ外す。指定された廊下の奥には待機用の椅子が幾つかあり、椅子の間には小さな仕切りがある。プライバシー保護のためかもしれないが、あまり意味があるとは思えない。

 1分もしないうちに呼ばれ、MRI検査室に入った。技師と看護師の二人がいて、中央にテレビで見た巨大な機械が鎮座している。siemens製品らしい。幅50 cmほどの狭い台に横になり、足の位置を合わせる。看護師が、「防音用に」と大きなヘッドホンを付けてくれた。小さな音量でクラシックが流れている。ゆっくりと台が動き、腰のあたりまで機械の中に入った。

「それでは、15分ほどかかります。気分が悪くなったらこれを握ってください」

 ブロアーのようなゴムを持たされると、看護師と技師は部屋を出て行った。

 天井を眺める。病院で天井を見つめて過ごすのは、学生時代急性アルコール中毒で運び込まれて以来のことだ。懐かしいような、恥ずかしいような、不思議な気分。

ブー ガガガガ……ガンガンガン

 大きなノイズ音が聞こえてきた。ヘッドホンをしているが、もうクラシックは聞こえない。痛いとか苦しいとかいうことはなく、ただ大きな音だけが連続する。なんだか眠くなってきた。

 音が聞こえなくなって、目が覚めた。終わったらしい。どうせなら、もう少し寝ていたかったが。

 ロッカーから荷物を出し、待合室で会計。

「7980円になります」

 財布を中身を調べると、所持金7995円。焦った。午前の診察やらクリーニングやらで、けっこう出費していたのだった。医療費は高い。

 さっきのおじさんはどうしただろう。

 僕の結果は、4月になってから。

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2007.02.18

バブルへGO!

※予告編と同程度のネタバレがあります。

Af2002

 感想を一言で言えば、バブルを知らない世代が作った、バブル時代をイメージした物語。

 実際には、この映画を作ったのは、当時若者を"トレンディな世界"に煽ったホイチョイプロダクション。バブル文化を知り尽くした人たちだ。

 ホイチョイが作るんだから、もう少しリアリティのあるバブルを描くんだと思っていた。コメディだからと言ってしまえばそれまでだが、あまりにもマンガチックで一面的。バブルは、普通の庶民が1万円札を振りかざしてタクシーを止めていたような時代ではない。

 風景が少ないのも気になる。この映画で描かれるのは、"バブル景気に浮かれる日本"ではなく、ほとんど"1990年の六本木交差点の風景"だ。ていうか、予告編以上の映像はほとんど出てこない。これほど協賛企業が前に出てくる映画も珍しいし、あるいは予算の制約があったのかもしれない。

 船上パーティのシーンも誇張が多く、全体に、フジテレビとホイチョイが、当時の流行をノリで再現してみましたという雰囲気が漂う。今の若い人がバブルをこのまんま受け取ったらどうしよう。

 一方で、役者は良かった。特に阿部寛。あるシーンで、阿部寛の心にちょっとした変化が生じるのだが、そこでの演技は実に自然で面白い。広末涼子の、とても子供がいるとは思えないキュートな演技も良かったし、薬師丸ひろ子の母親役もすっかり板に付いた感じ。もっとも、広末演じる田中真弓は、ちょっとアホすぎるんじゃないかと気になったが……。

 深く考えず、「バブルってありえねー」と笑うのがこの映画の楽しみ方だが、この映画を外国人が見たらどんな感想を持つのか心配になった。例えば、仮にこの映画が韓国作品で、韓国が舞台だったら、日本人の目にどう映るだろうか。

「BOA演じる韓国の女の子が、タイムマシーンに乗ってが1996年のソウルに戻り、通貨危機・IMF事態を回避すべく奮闘する。そして、ラストでは……」

 いかにも一部ネットユーザーが喜びそうな、自尊心丸出しの恥ずかしい映画に見えるのではないだろうか。外国人から、日本人がバブルに戻りたがっていると受け取られないか、心配だ。

 まあ、ラストは皮肉ということだとは思うけど…。

 広末涼子が好きな人や、とりあえず苦笑したい人にお勧め。

 あ、そうそう、作品中には、1990年当時のヒット曲がほんの数曲流れるんだけど、そのうちのひとつが「今すぐKissMe」。僕にとっては、今も懐メロじゃないんだけどなあ。

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2007.02.17

池袋駅で老兵に遭遇

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 池袋駅のホームに立ってたら、いきなり国鉄塗装の583団臨が!

 あわててデジカメを取り出したが、暗くてシャッタースピードが遅くなり、かろうじて583ということがわかるブレブレ写真になってしまった。

 団体列車ということで、仙台車両センター所属の編成らしい。

 国鉄全盛時代をそのまま残す、オリジナル塗装の583系寝台電車。

 いやあ、もっとじっくり見たかった。

583系寝台特急電車
 1960年代末期に、輸送力増強と、車両基地の収容力不足に対応するため、昼夜兼行で運行できる特急型車両として開発された、座席・寝台兼用車両。70年代以降の国鉄の衰退、生活水準の向上に伴う設備の陳腐化などの影響を受け、国鉄分割民営化後はほとんどの車両が一線を退いた。現在では、定期運行列車としては京都-新潟間の急行「きたぐに」を残すのみ。JR東日本は団体用などに2編成を保有している。

 

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2007.02.16

韓流ブーム終焉の理由?

 J-CASTは、朝日新聞社の週刊誌AERAの元編集長らが中心になって設立された、ニュース配信サイトだ。ネット上の話題を中心に扱い、特にブログの炎上に関する報道が得意なことで知られる。

 そんなJ-CASTに、『「韓流」ブーム終わった 映画観客、旅行者がた落ち』という記事が載った。

 2006年に公開された韓国映画・DVDはすべて商業的に失敗だった。NHK-BS2の韓国ドラマ枠も今期限りでなくなる、韓国への旅行者も減り、韓流ブームはヨン様を除いて終わった、という内容だ。

 韓流ブームが終わったなんて、今さら何を言っているのだろうという気もするが、よく読むとこの記事、論理が不自然だ。

 まず首をひねるのは、韓国を訪れる日本人が減少し、日本を訪れる韓国人が数字の上で上回ったことを「韓流ブームの終わりを示すもの」としている点。

 たしかに、2006年に韓国を訪れた日本人の数は減った。2006年の実績は約232万人で、2005年の244万人に比べ11万人減少した。しかし、232万人という数字は、ワールドカップが開催された2002年の実績とほぼ同じで、「がた落ち」というにはほど遠い。昨年の第一四半期に、竹島問題等によって訪韓旅行者が大きく落ち込んだことを考えれば、意外なほど健闘したとも言える。

 韓国人旅行者に数字を逆転されたのは、単に日本を訪れる韓国人が激増したからだ。韓流ブームの動向とは関係がない。

 さらに疑問なのは、その後の『関係者は「まだまだイケる」と意外に強気』という一節。ここでは、アミューズ広報の

「韓国映画はハリウッド映画と同じ一つのチョイスとして日本で定着している」

 というコメントや、NHK番組広報の

「良い韓国ドラマがあれば、また放送する。地上波では引き続き放送している」

 といったコメントを紹介し、『「韓流ブームは終わっていない」と言いたげ』としているのだ。韓流ブームの恩恵に与ってきた関係者が、『ブームは終わっていない』と必死に強弁しているようなイメージを狙ったのではないか。

 だが、原文を読めば、「需要はあるので、良いものは今後も紹介していく」という趣旨であることは明らかだ。「韓流ブームは終わっていない」というニュアンスはひとつもない。記者が頭の中で補っているだけである。

 最後は、ヨン様人気が健在であることを紹介し、

「ヨン様が06年もドラマや映画に出ていたら、韓流は落ち込まなかったかもしれない、韓流ブームとはヨン様ブームで、ブーム復活のカギを握っているのはヨン様ではないか」

 と結論付けている。ヨン様は強力な固定客が付いたということであって、彼が韓流ブーム復活のカギを握っているなんてあり得ない。

 韓流ブームはとっくに終わっている。それは事実だ。韓国ものなら何でも良いと、内容に厚みのない作品を大量投入し、ライト層に飽きられたことが原因だ。それでも予想を超えて長く続いたし、ブームに左右されない固定層を獲得したことも事実だろう。

 僕の実感では、ドラマは当分厳しいが、K-popや映画はきちんとプロモートすれば、充分商売になると思う。ただ、映画については、大ヒットした「消しゴム」「四月の雪」の夢から醒めていないようで、最近の公開作は上映規模がやや大きすぎるのではないだろうか。

 J-CASTは面白い記事も多いだけに、一部の読者におもねるような記事は残念だ。

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次回訪韓日程

 一応、正式に2月26日月曜渡韓と決まった。

 今回はちょっと長く、おそらく3月末くらいまでいる予定。お馴染み、安岩洞4街の考試院の部屋も押さえた。

 ソウル半月、地方半月といった感じになりそうだ。3月23日には仁川空港連絡鉄道が開業する予定で、久しぶりに韓国の話題を届けられるだろう。

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2007.02.14

お店の予約

 書記長と急に飯を食うことになり、サムギョプサルが良かろうと、マッコルリバー「てじまうる」新宿店に電話を入れた。8時半くらいに行きたいんですけど、席ありますかね?

「大丈夫ですよ。何名様ですか」

「ふ、ふたりです」

 どもってしまった。今日は2月14日。書記長なんぞと飯を食うのに、どうして僕は予約を入れているのだろう。

 敗北感に襲われた。

 自意識過剰だな。

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JR東日本チャイムメドレー

 なぜか、韓国にいる友だち(日本人)に教えてもらった。

 なんか、半分以上知ってるんですけど……。ていうか、数えた。知ってる→40曲、知らない→20曲。

 最初はすごい!と思うけど、だんだん電車を思い出して鬱になってきます。

 ソウル地下鉄バージョンとかないですかね? ただのモーツァルトメドレーになっちゃうか。

 今日は強風のため、「北斗星」「カシオペア」「あけぼの」「北陸」が運休とのこと。1カ月前からカシオペアのチケットを確保していた方、かわいそう。

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硫黄島からの手紙

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 クリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」。

 いろいろなところで、「この映画が外国人によって作られたことが残念」と言われていた。

 僕も、最初はそうだったが、考えるうちにだんだん変わってきた。というのも、日本人があの戦争を題材にすると、あからさまな反戦映画に仕上がるか、日本人の純粋性やら精神やらを強調した、力の入りすぎた作品になってしまうことが多いからだ。

 あの映画は、アメリカ人が監督したからこそ、生まれた作品だ。

 「硫黄島からの手紙」では、主人公の栗林中将は「天皇陛下万歳!」と叫ぶ。「国のため忠義を尽くし、この命を捧(ささ)げようと決意している」とも述べる。「靖国で会おう」と言う人までいる。いずれも、戦後の教育を受けてきた者の多くが見ると、どきりとする言葉だ。「男たちのYAMATO」では、こうした台詞から言葉以上の深みを感じることができず、正直嫌だった。だがこの映画では、"軍国主義的な"日本軍将兵の言葉が、妙に心に残る。その奥にある、様々な気持ちが伝わってくるような気がした。

 殊更に勇ましくもなければ、必要以上に残忍なわけでもない。彩度を落とした映像で、硫黄島で闘い抜いた人々を、ニュートラルな立場から淡々と描いたことが、良かったのだろうか。

 当事者であるアメリカの映画人たちが、自分たちが闘った相手の人間性を描こうと正面から取り組んだ。その結果、抑えの効いた、心に訴えかける映画に仕上がったのだ。

 逆に、大平洋戦争にほとんど関係のなかった国、例えばスイス人の監督とかがこの映画を作っていたら、これほど胸に迫る作品にはならなかったはずだ。

 それにしても、硫黄島の闘いを2時間余りでまとめるのは大変だ。多くの人が指摘しているように、硫黄島戦の要とも言える地下要塞が一瞬で完成してしまい、その規模も伝わってこなかったのは残念だった。そこまでやると3時間を超えてしまいそうだが、それでも敢えてやって欲しかった…と思うのは、やっぱり僕が日本人だからだろうか。

 できるだけ多くの人に見て欲しい作品だ。

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2007.02.12

映画鑑賞終了

 歌舞伎町で、「硫黄島からの手紙」と「それでも僕はやってない」を見てきた。
 一日でこの二作品を見ることが、どれだけエネルギーを使うことか。もうくたくた。

 どちらも素晴らしい、というか凄い映画だった。
 詳しい話は、また後ほど。

 「それでもー」は、何書いてもネタバレになってしまうので、困ったな。

 まだ見ていない人は、ぜひ。

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消えゆく中野四十五番街

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 オタクの殿堂?中野ブロードウェイの早稲田通り側出口の横に、注意深く見ないと存在すら気づかない小さな路地がある。

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 この、路地とも言い難い私道の奥にある、自称「明るい飲食店街」が、中野四十五番街だ。

 新宿ゴールデン街がサブカルチャー的な臭いを発し、思い出横丁が観光名所に変貌する中、中野四十五番街は、今も昔ながらの路地裏飲食店街の姿を守っている。いや、守っているというよりは、その存在を忘れられていると言ったほうが良いかもしれない。

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 子供の頃は、「秘密の道」などと呼んだ四十五番街も、今や取り壊しが進み、風前の灯だ。立ち寄るたびに、店が減っている。

 戦前の文化住宅の生き残りだったサキガケ荘は「メゾン・サキガケ」となり、大正後期の二軒長屋だった僕の実家も、今はコイン駐車場だ。

 だんだん、中野からも風景が失われていく。

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在りし日のサキガケ荘 (2002年6月)。ネコのたまり場であった。上の3枚目の写真の右奥に写っているのが、現在のメゾン・サキガケ。

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2007.02.10

キングソフトオフィス2007正規試用版

 忙しくはないけど、ちょっとブログを書くモチベーションが下がっている今日この頃。そろそろ、再開します。

 以前紹介した、マイクロソフトOffice互換のOfficeソフト、キングソフトオフィス2007(KINGSOFT Office2007)がアップデート。今まではβ版だったのが、正規版の3カ月試用版になった。

 キングソフトオフィス2007と、MS-Office互換ソフトについてはこちら

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 自動的にインストールされたので、なんとなく試していなかったのだが、改めていじってみたら、ちょっと嬉しい改善がなされていた。

 ワープロソフトが、ハングルのインライン入力に対応。

 インライン入力とは、キーボードから入力している文字が、そのままカーソル位置に表示される機能のこと。当たり前ようだが、実は少し技術がいる機能らしい。昔は、インライン入力ではないワープロソフトはゴロゴロあった。

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インライン入力

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非インライン入力。A1のセルに入力しているのに、文字は確定するまで左上に表示される

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確定すると、きちんとセルに表示される。2文字目からは疑似インライン入力に。中途半端やなあ

 これまで、マイクロソフトOffice以外のOfficeソフトは、外国語の入力は、カーソル位置での入力表示(インライン入力)に対応していなかった。画面の別の場所に表示され、文字を確定させて初めてカーソル位置に表示されていた。そのため、視点をあちこちに動かさなくてはならず、長文の入力には使えなかった。

 キングソフトオフィス2007は、大変良くできたマイクロソフトOffice互換ソフトだが、やはりハングルを入力すると、入力中の文字は画面左上に表示されるので、僕にとっては使いにくかったのだ。

 βテストの際、キングソフトに要望を出しておいたのだが、製品版で一応対応してくれたということらしい。

 一応、というのは、上の画像にもあるように、表計算ソフトはまだ対応が十分ではないからだ。もっとも、表計算ソフトでは長文を入力することはないので、ワープロほど困ることはない。

 これで、僕にとってキングソフトオフィス2007は、お金を出してもいいかなと思えるレベルになってきた。値段は、4980円。マイクロソフトOfficeの1/10である。一太郎2007も出たし、さてどうしようか。

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2007.02.05

卑劣な振り込め詐欺

障害児の未来、一瞬で
還付かたる「振り込め」 500万円被害

 振り込め詐欺に遭った名古屋市中村区の40代の女性が1月下旬、大量の睡眠薬を飲み、自ら命を絶とうとした。幸い一命は取り留めたが、知的障害がある息子の将来のために、こつこつと貯金してきた500万円が卑劣な犯行で一瞬に消えた。自殺を図ったのはそのショックからだった。(中日新聞)

 ひどい話だ。この被害者は、昨年癌の手術を受けていたという。だから、医療費還付を騙る詐欺師を疑わなかったらしい。

 おそらく、今も癌再発に怯えながら、決して安くはない医療費を負担して治療を受けていたのだろう。

 自分が産んだ長男の障害のために、もともと家族は大変だった。そこへ自分が癌を患い、精神的・経済的に家族に大きな負担をかけてしまった。その上、自分のせいで長男のためにコツコツ貯めてきた貯金を、一瞬で犯罪者達に盗られてしまった。自分は、もう迷惑をかけるだけの存在だ。この世にいないほうがいい。

 そう考えたのではないか。

 振り込め詐欺は、他人事だと思っていた。心のどこかで、「あれほど気をつけろって言われているのに、騙されるほうが悪い」と思っていたかもしれない。

 だが、この記事を読んで、振り込め詐欺が如何に卑劣な犯罪か、改めて思い知らされた。

 ネットではこの女性と家族を救おうという動きが出ている。新聞社に仲介を依頼しての募金活動などが検討されているようだ。

私たちにできること

 この家族に、世の中まだまだ捨てたものではない、と思ってもらえるような活動を願っている。

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2007.02.03

ご飯のおかわり自由

 ご飯のおかわりが無料の定食屋で夕食。

 おかわり自由と聞くと、一膳目はどうもおかずをケチケチ食べてしまう。根っからの貧乏性だ。

 今日も、肉野菜炒めを1/3ほど食べたところで、一膳目が終了した。

 この店は、おかわりはセルフサービス。これが、女性客の少ない理由のひとつになっている。

 茶碗を持って、席を立とうとしたそのときだ。

「ああっ!」

 奥の厨房から、店員の小さな悲鳴が聞こえた。客の注目が、厨房に集まる。

 ややあって、奥から出てきたおばさん店員は、茶碗を持って立ちつくしている僕に言った。

「すみません、炊飯器のスイッチが入っていなくて、ご飯がなくなっちゃったんです。しばらくお待ちいただけますか」
「どのくらいですか」
「今スイッチを入れたので、40分くらいですね」
「……」

 このおかず、どうしよう。

 まだ注文した物が出ていない人には、代金が返金さされた。しかし、僕はご飯1膳、おかず1/3を食べてしまっている。しょうがないので、食券販売機で、生ビールのチケットを買った。

 ビールを一口飲んで、思った。

「このビール、ご飯の代わりにサービスでくれって言ったら、通ったかなあ……」

 イケてない日は、発想もイケてない。

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2007.02.01

中野五丁目付近

昔いたグレの子孫ですかね。よく見かける奴です。

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オイラノゴハンマダデツカ

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警戒態勢中。

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2ちゃんねる閉鎖?ではなく電源工事でした

http://sv2ch.baila6.jp/sv2ch01.html

なんか、ほぼすべての鯖が落ちてます。2時間以上落ちている鯖も多い模様。

とうとう閉鎖?だったりして。

と思ったら、こんな時間に電源工事だって。この前深夜にやろうとしたのを延期していたらしい。

http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/operatex/1170245691/l50

さっき、一度は運用情報板もつながらなかったので、ほんとに閉鎖かと思った。

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銚子電鉄の旅

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 今日は1日振替休日に決め、銚子電鉄に乗ってきた。内山健治郎元社長による横領事件に始まる経営危機問題を聞いて以来、ぜひ現地に行って乗ってこようと思っていた。

 この電車に乗るのは、実に四半世紀ぶり。小学生の時、総武本線と成田線に乗りに来たついでに乗って以来になる。昼過ぎに銚子駅に着くと、駅前の様子はすっかり変わっていたが、電鉄の小さな電車はそのままだった。

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 週末は鉄ちゃんや2ちゃんねらーでいっぱいだろうと思い、平日に来たのだが、それでもけっこう観光客が乗っていた。犬吠岬観光の玄関となる犬吠駅までは17分、終点外川までは19分の旅だ。運賃は片道310円だが、620円で1日乗車券を買った。

 電車は、雑草だらけの軌道をガタゴト走る。直線区間でも大きく左右に揺れ、軌道がかなり老朽化していることがわかる。じべたで昼寝しているイヌさんや、犬吠岬灯台を眺めながら、まずは終点外川へ。

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 外川駅は、20年前と何も変わっていなかった。周囲の民家や信用金庫はだいたい新しい建物に変わっており、駅だけが時代に取り残されたような、アンバランスな風景。現在観音駅で売られている鯛焼きは、昔はこの外川駅で売っていたような気がするのだが、気のせいだろうか。

 線路はここで終わっているが、その先に細い路地が続いている。てくてく歩いていくと、やがて海が見えてきた。

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 坂を下りきったところが、外川漁港。あまり人影は見えず、静かだ。なんとなく、右の方へぶらぶらすると、民宿や食堂が点在している。いちばんシブい食堂を選んで入ってみた。

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 犬若食堂。名前がいい。店先では、おっちゃんが鰯を干している。のれんをくぐると、中にはけっこう人がいた。

「こんにちは。ご飯、たべられますか」

 全員がこちらを見る。間違えて他人の宴会に入ってしまったような。

「あ、お客さんだよ~」

 先客は、全員常連さんらしい。60代前後のおやじさんやら、40前後の夫婦やらが、午後2時過ぎだというのに焼酎で楽しくやっている。せっかくなので、僕もチューハイを注文して、仲間に入れてもらった。

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「ここの魚はね、みんな目の前で捕れたやつだから。冷凍もんなんてひとつもないよ」
「メカのアラ食べたことある? ちょっとお母さん、お兄さんにメカのアラ出してあげて」
「僕らの話聞いてもつまらんでしょ。じいさんになると、セッ××の話ばっかりだからよ」

 こんな調子で、メカジキの刺身とアラ煮をいただく。刺身は新鮮そのもので、アラ煮は肉じゃがの肉の代わりにメカジキのアラが入っている感じ。どちらも旨かった。

 外川駅には戻らず、ひとつ手前の犬吠駅まで歩いて「地球が丸く見える丘展望台」に向かう。犬若食堂に長居しすぎて、もう4時近い。

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 犬吠駅から展望台までは、徒歩10分ほど。屋上に上がると、なるほど、素晴らしい眺めだ。360度視界が開け、そのうち330度は海。北側には市街地があり、九十九里の方面には屏風ケ浦の風力発電所が見える。今日は少しガスが出ているが、空気がきれいなら、九十九里の向こうに富士山が見えるはずだ。この眺めは、北海道中標津の、開陽台展望台にも負けていないと思う。

 これほどのスポットが、東京からわずか2時間のところにあるのに、今ひとつマイナーな存在なのは惜しい。これは、房総の観光地全体に言えることで、「千葉」がすっかり住宅地のイメージになってしまった結果、千葉を旅する人は、激減した。南房総に行くと、ホテルの廃墟がそこらじゅうにあって切なくなる。

 そんなことを考えるうちに、日が暮れてきた。カップルにまじって、大平洋に沈む夕日を黙って眺める。電話が鳴った。来週の打ち合わせについての連絡。ああ、今日平日だったっけ。

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 暗くなって銚子駅に戻り、駅前でもう一度刺身を食べて、帰途についた。明日は働くぞ。

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