香原勝文先生の話
香原勝文先生は、たぶん1928年、福岡県生まれ。
15歳で少年航空兵。大戦末期には、陸軍三式戦闘機「飛燕」の搭乗員として九州の防空に当たった。
戦後、日本大学法学部に進み、憲法について学ぶ傍ら、ラグビー部員として活躍。
東京新聞社会部記者。いわゆる事件記者として活躍し、NHKドラマ「事件記者」が人気だった頃には、家庭画報(世界文化社)に「事件記者コーさん」として取り上げられた。
ベトナム戦争にも従軍。また、ノモンハン事件やガダルカナル戦を指揮し、戦後ラオスで失踪した辻政信の足取りを追って、ラオスも訪問。
大学紛争のさなか、日本大学経済学部職員を経て、我が母校日大街術学部放送学科で教鞭を執る。また、軍事評論家として著作活動も精力的に行う。
大学では主に報道研究やマスコミュニケーションを担当し、1990年から報道研究をテーマとするゼミを開講。1998年まで8期105人。
2007年1月20日永眠。
僕の師匠と言えば、レイルウェイ・ライターの種村直樹氏だが、恩師と言えば、香原先生だ。
ものすごく心酔していたわけじゃなかった。自慢話するし、ホラ吹くし。
潔い先生だった。他愛のない自慢話はしても、偉そうに振る舞ったり、学生を見下すようなことは絶対にしなかった。
口が悪く、ぶっきらぼうで、無愛想な人だったが、学生を100%信頼し、学生が大好きだった。
香原ゼミは、当時放送学科でも人気があったゼミで、定員10に対し希望者は毎年20人以上いた。
当然、学生を選抜しなくてはならなかったが、香原先生はその選抜に一切タッチしなかった。
「お前たちが、一緒に勉強したいと思うヤツを、自分たちで選べ。俺は一切口を出さない」。
だから、ゼミ員選抜に当たっては、ゼミ員が試験問題を作り、ゼミ員が面接をした。先生は、教室の隅で寝ているふりして見てるだけ。
僕が受けた筆記試験には、時事問題と一緒に「香原先生のプロポーズの言葉は、次のうちどれか」なんて問題が並んでいた。
試験に落ちて、それでも諦められず、「どうしてもこのゼミで勉強したい」と頭を下げに来る学生もいた。そんな時も、先生は決まってこう言った。
「どうするかは、お前たちが決めろ。一緒に勉強したいと思えば、入れてやればいい」。
ゼミの授業は、グループごとにテーマを決めての時事問題研究と、年に2回程度のディベート。ここでも、先生は自らああしろこうしろとは言わなかった。訊かれれば、最小限の言葉でアドバイスをしてくれたが、自ら講義する時も、事実を述べて考えるヒントをくれるだけ。でも、先生の話を聞くと、不思議と勉強したくなったものだ。朝鮮半島に初めて興味を持ったのも、香原ゼミの研究を通じてだった。
香原先生の、生前最後の記事は、防衛ホーム新聞の1月1日号「論陣」。この文章は、現在ウェブで読むことができる。
《論陣》
「防衛省」こそ本当の新年である
=警察予備隊からいままでの汗と力=
先生の、最後の言葉は「じゃあね!!」。
1月末にも、退院が予定されていたが、急に容体が悪化したらしい。しかし、ほとんど苦しむこともなく、穏やかな、眠るような最期だったそうだ。退院が叶わなかったのは悔しいが、先生らしいとも思う。
香原先生に出会わなかったら、僕は今頃、疑問を感じながらテレビ制作会社のディレクターをやっていたかもしれない。僕が今、ライター業で生活しているのは、先生に出会ったおかげでもある。
いずれ、お墓参りをする機会があれば、じっくり話を聞いてもらうことにしよう。
ありがとうございました。
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Comments
y-k-kさん
コメントありがとうございます。
先生が亡くなって、もうすぐ4年になりますが、香原ゼミは今でも年一回、先生のご家族とともに集まっています。
今度、ゼミの枠をとっぱらって、放送学科OBOGで先生の思い出話を語りたいですね。
また遊びに来てください。
Posted by: 栗原 景 | 2010.11.04 14:47
私も香原先生好きでした。ゼミには落ちちゃったのですが、ルポを添削してもらったり・・・当時の学生の私の寝ぼけまなこを開かせてくださった方です。
亡くなられていたなんて・・・。
御冥福をお祈りします。
Posted by: y-k-k | 2010.11.02 15:13
大変遅くなりました。香澄さん、今後ともよろしくお願いします。
ORAさん、僕もブックマークさせてもらっています。
去年の写真が何枚かありますので、今度送らせてもらいますね。
どうかよろしくお願いします!
Posted by: かんりにん | 2007.02.05 02:29
↑あ☆香澄さんだ♪こんにちは!お元気ですか?
本当に先生かっこいいですね♪
(かんりにん様、人様のblogで失礼します!)
この記事を読んで私の知らない先生をみました
私、先生の話ちゃんと聞いてなかったのかな?
それとも記憶障害があるのかな?なんて心配になってしまいます
香澄さんのおっしゃる通り、こうやって縁がつながっています
大切に紡いでいきたいと思います
(一番上の写真、先生の横にいる赤いのが私です)
私のblogにもブックマークさせて頂きます!
Posted by: ORA | 2007.01.30 20:18
本当に最後までペンを握ってましたね。
さすがにモルヒネで幻覚や幻聴が出始めてからの原稿は使えなかったみたいですが。
天邪鬼なところをしっかり受け継いでしまって、気に掛けている人にはよく説教をしてしまう香澄です(笑)
こんな孫ですが、おじいちゃんが繋いでくれた『縁』大切にしていきたいので今後とも宜しくお願いします!
Posted by: 石井香澄 | 2007.01.30 00:09