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2004.09.29

白馬サマーグランプリでの韓国選手

 白馬へ、FIS スキージャンプ・サマーグランプリ2004を見に行ってきた。
 4年ぶりの白馬はけっこう変わっていて面白かったのだが、その話はまた改めて。

 サマーグランプリは、夏のワールドカップといえる格式ある大会だ。今回、韓国からは2人の選手が派遣されていた。

 チェ・フンチョルとキム・ヒョンギ。

 二人とも、ワールドカップで世界の強豪と互角に渡り合える実力にはなく、2戦あった今大会で、予選を通過したのは初日のフンチョル一回だけ。出場55選手中、予選落ちは5人だけというのに情けない。二人とも、2003年青森冬季アジア大会団体戦で、船木率いる日本代表を破って優勝したメンバーなのだが。

 2日目の予選。ブレーキングトラックで、ジャンプを終えた韓国人選手二人に声をかけてみた。

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 「おーい、フンチョル! 次、がんばれ!」

 88m地点に沈み、唇をかみしめて悔しさをこらえていたフンチョルは、僕に気づくとぺこっとお辞儀した後、のけぞって「やっちゃいました~ すみません~」というジェスチャーをしてみせた。あの明るさはいい。

 そして、ヒョンギ。やはり、91mで落ちてしまった。予選通過は、まず無理だ。

 「ヒョンギ! がんばれ!」

 2年ぶりに見るヒョンギは、以前の可愛い坊やっぽさが消え、すっかりアスリートらしい顔つきになっていた。

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↑白馬でのキム・ヒョンギ

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↑2002年10月、大韓選手権でのヒョンギ

技術の進歩がめざましいワールドカップジャンプの世界では、なかなか上位に食い込むのは難しいが、パイオニアとして頑張ってほしい。

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三清洞「ある」のケーキ

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 韓国最後のスイーツは、三清洞のカフェ「ある」のチーズケーキ。
 帰国を翌日に控えた9月16日、ソウル在住の日本人女性カメラマンFさんと、その友人Mさんの3人で行ってきた。

 「ある」は、今ソウルでいちばん勢いのあるケーキ専門店だ。社長は日本の製菓専門学校で学び、日本のケーキを韓国に持ち帰った。ソウルで活躍する日本人パティシエといえば、今やデパートにも売場を持つ「パティスリーエグチ」の江口誠さんが有名だが、「ある」のケーキも負けてない。甘すぎず、ごてごてせず、繊細な風味は、僕のお気に入りのひとつ。明洞をはじめソウルの各繁華街、そしてデパートにも支店があるが、いつも店員が親切な三清洞店をお薦めしたい。ただし、ドリンクと併せて約1000円と、お値段のほうも日本並みだ。プラタナス並木と、古くから残る韓屋街が美しい、三清洞の散策を楽しんだ後は、「ある」で美味しいケーキで一息入れたい。

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 写真は、「いつものパターン」で恥ずかしい……。精進します。

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2004.09.27

松本で見た「日本らしさ」

 白馬からの帰り、松本駅で韓国留学時代の友だちと待ち合わせた。

 彼女は松本市からバスか電車で1時間あまりの場所に住んでいる。まずは帰りの時間を確認しようということで、バスターミナルへ。僕は19時30分の高速バスを予約してあり、今の時刻は16時30分。しかし、松本駅前から彼女の町まで行くバスは、18時すぎが最終だ。それ以降のバスは、市内には入らず、高速のインター近くにあるバス停から乗らなくてはならない。時間的には、松本IC19時58分発のバスがちょうどよさそうなのだが、ICまで行く市内バスはあるのだろうか。

僕「あの、すみません、××へ行きたいんですが、松本ICバス停まで市内バスで行けますか」

 窓口には、若い女性が座っている。

係員「はい、××行きは、18時10分発になります」
僕「あ、いえ、そうじゃなくて、このインター発19時58分のバスに乗りたいんですよ。でも、このバスは駅前には来ないから、インターまで行くバスは他にあるのかな、と思って」
係員「高速の松本インターを通るバスですか。(時刻表を見る)それでは、次は17時発の○○行きになります」

 ……_| ̄|○ ソレニノルクライナラ 18ジ10プンハツニノルデショ......

僕「あの、そうじゃなくて、19時すぎまで市内にいたいので、19時58分のバスに乗りたいんですが」
係員「はい、そうしますと、19時58分のバスは、松本インターからの発車、そうですねー」
僕「ですから、そのバスに間に合うように松本インターに行くには、どうすれば良いですか」
係員「そうですね、そうしますとー、松本駅から松本インターへ行くバスは、次は17時発になります

 日本語通じないよ、お母ちゃん!

 しょうがないので彼女は電車で帰ることに決定。夕方の松本城を散策し、駅近くの牛角に入った。ソウルに住んでいた二人が、どうして松本で牛角なんだ、という突っ込みは置いといて。

 メニューを見て、手軽な焼肉とビールをオーダー。彼女は、生グレープフルーツサワーを頼もうとした。
 と、メニューに「生グレープフルーツサワー」と、「生グレープフルーツ&焼酎」のふたつがあることに気づいた。このふたつは、どう違うのだろう。まあ、単純に考えれば炭酸が入っているのが「生グレープフルーツサワー」で、単に焼酎を果汁で割るのが「生グレープフルーツ&焼酎」なのだろう。度数なども違うだろうし、とりあえず店員に訊いてみることにした。やってきたのは、アルバイト風の若い店員。

僕ら「"生グレープフルーツサワー"と"生グレープフルーツ&焼酎"って、どう違うんですか」
店員「はい、えーと、生グレープフルーツサワーは、生グレープフルーツとサワーで、生グレープフルーツ&焼酎は、生グレープフルーツと焼酎です」

 わかんねえよ!

 これって、やっぱりマニュアル社会の弊害かなあ。そろそろマニュアルやめようよ、と思った松本の夜だった。

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2004.09.25

お休み中ですが

さぼっちゃってますが、日曜or月曜から更新再開します。

昨日は、東京ビッグサイトへ「世界旅行博」を見に行ってきました。
韓国と中国とタイと台湾の観光資料を集めたら、重さが15kgに。
宅配便で家に送ったけど、ぎっくり腰になるかと思いました。
それにしても、韓流にも拘わらず韓国はあまりやる気がありませんでしたね。パンフレットと、韓国ドラマのDVDを展示してたくらい。
もう少し、見せ方考えないと。急須の顔をした急須マン?が活躍していた台湾に完敗だったと思います。

さて、これから白馬行ってきます。

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2004.09.22

大スランプ中

 2日くらい、原稿用紙、じゃなかったテキストエディタを前に、呆然としている私です。おかげで、すっかり朝型になってしまいました。ただいま7時10分。

 全然原稿書けません~。400字詰め20枚程度なんですけど。まー、原因はだいたいわかってます。要は、軽いノリで行くのか、真面目に書き連ねるのか、ちょっとじーんとさせたいのか。その辺が絞れていないんですね。ネタはたくさんあるのに、うまく料理できない。プロ?失格です。

 こう言うときは、他の人の文章を見てまわるのが一番、といいわけしながら、他人のブログに逃避しています。

 うまいなーと感心するのが、眞鍋かをりさんのブログ。彼女の文章力とセンスは、かなりのものです。自由に書いていながら、突っ込みどころや笑いどころがよく計算され、ほどよく演出されている感じ。コオロギの死体写真が話題らしいですが、それよりも友人とイケメン店長に会いに行く話のテンポの良さに、感心しました。タイプは違うけど、あのセンスは僕も見習いたいところ。

 さて、僕も頑張って原稿書くぞ。

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2004.09.21

新宿駅での再会

 中野で父親に会ったあと、小さなラジカセを買いに新宿へ。

 新宿駅のホームに降りると、向かいに特急「わかしお号」が停車していた。今では珍しくなった、183系国鉄型塗装車だ。おもむろに一眼レフカメラを撮り出し、何枚か写真を撮った。僕は、電車のことはよくわからないが、このデザインはやはり懐かしい。この車両も10月から新型のE257系500番台に順次置き換えのはずである。

 少し時間をくってしまい、早足で階段を上る。南口改札の手前まで来たところで、声をかけられた。

「クリハラさんじゃありませんか?」

 振り向くと、さっぱりした感じの若い男性が立っている。どこかで見た人だ。えーと。思い出せない。出版関係の人ではない。韓国で会った人かな?いや、それも違うな……。

「ほら、中国で会った……」

 思い出した! 2001年8月、中国の烏魯木斉で会い、一緒に天池のカザフ族の村へトレッキングに行ったTくんだ。バックパッカーの弟さんと二人で、ヨーロッパまでユーラシア横断の旅をしていた。このサイトのマイフォトにも、顔がわからない程度に何枚か写っている。新疆ウイグル自治区に入って戸惑う僕を、ずいぶん助けてくれたものだ。今は都内で働いており、弟さんは職人を目指しているそうだ。名刺を渡して、今度ゆっくり会う約束をした。帰って来るなり、運がいい。

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2004.09.19

今ごろ、プロ野球問題の話

 帰ってきたからというわけではないが、いきなり韓国とは無関係の話を。

 17日、成田空港のホテルで見た、古田選手会長と瀬戸山選手関係委員長の会見。

 正直、選手会の、労組としての甘さを感じた。

 当初、選手会は近鉄とオリックスの合併の1年凍結を求めていたはずだった。それが、10時間の交渉の中でいつのまにか「来年の合併やむなし」の雰囲気に変わり、要求が「来季からの新規参入促進」に変わってしまった。NPBの交渉ペースに乗せられ、言質を取られてしまったのではないか。

「来季からの新規参入」は、確約できる事柄ではない。

 もちろん、選手会側もそのことはわかっているので、「最大限の努力をする」という文言を入れるという要求にとどめた。だが、そんな曖昧な要求では経営側の態度を改めさせるのは不可能だ。NPBがそれを受け入れ、適当にポーズだけ見せた挙げ句に「最大限努力したけど、ダメだった」と言ったら、選手会は納得するのだろうか?

 NPBは、選手会に存分にものを言わせ、ストライキまでうたせた上で、「努力条項」を受け入れるのではないかというのが、僕の考えだ。そうなれば、選手会はNPBと合意せざるを得ない。そして、楽天やライブドアの加盟審査をするふりだけして「やはり困難」と却下、シーズン終了後に、再び第2の合併話が浮上する……。

 そこまでは行かなくとも、今週のストライキで選手会に花を持たせ、来週、合意書にひとこと加えるだけでこの問題は「決着」となるシナリオは、おおいにあり得る。そうなれば、選手会の負けである。

 終始「お願い」口調の古田を見るにつけ、そんな不安がよぎるのだった。

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2004.09.18

松戸のゲストハウスに到着

 昨日は遅かったので成田のホテルに泊まり、今日18日に京成と新京成を乗り継いで松戸に向かった。
 電車内の日本語が外国語のように聞こえる。昨日ホテルに泊まるまで日本が3連休とは知らなかったし、まだまだガイジン状態である。

 正午すぎにゲストハウスに到着。管理人のKさんと5カ月ぶりに再会した。

 玄関に、昨日空港から送ったスーツケースがすでに届いていた。12時~14時に指定したのだが、ちょうど正午に到着したそうだ。さすがはニッポン。韓国なら、13時50分ごろ届くところだ。

 「あの、これほんと偶然なんですけど」

 Kさんが笑いながら案内してくれた空室は、なんと前回と同じ部屋。部屋自体は200室近くあるというのに、すごい偶然だ。昨日だかに空いたそうで、部屋に入ると、なにやら我が家に戻ってきた気分。

 シャワーを浴びて、とりあえず一息。空港から、25kgの荷物をかついて来たので、汗びっしょりだった。
 この後は、15時から某テレビ番組の取材を眺め、夜は都内で友人に会う予定。

 和光の方から、「仕事しろ」という声が聞こえてくる。ごめんなさい。夜すぐやります。

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帰国しました

どうも。ばたばたしているうちに、あっという間に帰国の日を迎えてしまった。
とりあえず完全帰国ということで、荷物をほぼすべて引き上げたのだが、まとめてみたら、これが大変なことに。

段ボールその1……28kg
段ボールその2……22kg
スーツケース……28kg
バックパック……12kg
PCアタッシュケース……7kg
カメラバッグ……6kg
三脚……1kg

 総重量104kg。ていうか、これ留学生の荷物じゃない。これでも減らしに減らし、大量のゴミを出した結果なのだが。荷物を重くしている一番の原因は、テキスト、書籍、辞書の類だ。「韓国の伝統文化遺産全2巻」とか、「京畿道観光資料一式」とか、ひとつで5kgとかいうような代物もある。

 段ボールは郵便で日本に送ろうと思っていたが、原則としてひとつ20kgまでという制限があるので、泣く泣く古めの資料を処分した。なんとか各19kgまで減らし、船便で日本へ。

 問題は、スーツケースとバックパックだ。エコノミークラスの手荷物は20kgまでだが、この二つの荷物は、合計40kgある。これまで数々の試練を乗り越えてきたが、今回ばかりは、追加料金を請求されるかもしれない。ぎっくり腰になりかけながら、死ぬ思いで仁川空港にたどり着いた。

「エコノミークラスの荷物は20kgまでなんですけど、まあ、いいですよ。おまけです」

 20kgオーバーがおまけかよ。さすが韓国。ありがとう。
 そういうわけで、帰ってきました。

 

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2004.09.15

水仁線廃線跡を歩く~ソレ鉄橋編

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 漢陽大前駅から、4号線は水仁線の路盤に沿って走っている。安山駅付近で再び線路跡を見ることができるが、そこから先はわからない。

 終点の烏耳島(オイド)駅から、タクシーでソレ浦口へ。ここは仁川広域市と京畿道始興市の境にある湾口で、水仁線のソレ鉄橋が、人道橋として今も利用されている。
 この橋が興味深いのは、当初臨時の人道橋として整備されたので、最低限の工事しか施されておらず、鉄道時代の姿をそのまま残している点だ。橋の上に金網と手すりを設置しただけで、金網の下にはレールも敷かれたまま。そのため、最近では橋自体が観光名所となっていて、家族連れの姿も多い。橋を渡り、漁港を眺め、魚を食べるのがソレ浦の定番コースだ。

 橋を渡って仁川市側に入ると、軌道跡の築堤がそのまま歩道になっており、屋台まで並んでいる。100mほど進むと人通りが少なくなり、次第にゴミ捨て場の様相を呈してきたので表通りへ。標識を見ると「ソレ駅4路」と書かれてあった。ここは駅前通りだったようだ。

 てくてく歩いていくと、「ソレ駅3路」「ソレ駅2路」と数字が小さくなっていく。この先、「ソレ駅1路」の前が、かつてのソレ駅のはずだ。「ソレ駅駐車場」があり、その向こうに、市内バスの停留所が見えた。ここが国鉄水仁線ソレ駅跡だろう。

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 バスの裏手にまわると、そこはまぎれもなく鉄道の駅だった。廃墟となってはいるが、駅舎も残っている。ホームは周囲を埋め立てられ、地面に埋め込まれたコンクリート区画のようになっていた。

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旧ソレ駅改札口

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周囲を埋め立てられたソレ駅のプラットホーム跡
こちらのサイトで、現役当時の水仁線、ソレ(蘇来)駅の写真をみることができます。

 駅の跡は、漁師たちの物置場になっているようだ。ヤブ蚊がひどく、かなり荒れている。すぐ手前のソレ鉄橋が、華やかな観光地になっているのとは対照的な姿だった。

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2004.09.14

水仁線廃線跡を歩く~漢陽大前駅編

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▲鉄道博物館に保存されている水仁線の客車

 かつて、京畿道の水原と仁川を結ぶ、軽便鉄道があった。全長52kmのこの路線は、韓国では数少ないナローゲージ(762mm)の軽便鉄道だったので、日本の鉄道ファンの間で人気がある。かつては、京畿道でとれた塩や米を仁川港に運ぶ役割を果たしていたが、次第に利用客が減少、1995年12月31日限りで全線廃止された。

 水仁線は、最後は1日に列車が3本しかない超ローカル線だったが、沿線は現在ソウルのベッドタウンとして急速に発展している。10年近く前に廃止された鉄道の痕跡なんて、ほとんど消えてしまっているだろう……と思っていたら、そうではなかった。

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 地下鉄4号線が乗り入れる、国鉄安山線の電車が漢陽大前駅に近づくと、南から草むした路盤が近づいてきた。築堤の跡だけでなく、幅の狭いレールもそのままだ。漢陽大前駅は、水仁線が最後に廃止されたときの終着駅で、その時にはすでに京仁線も開通していた。その漢陽大前駅には、荒れてはいるものの、水仁線のホームからレールまで、ほとんどの施設が残っていた。

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 漢陽大前駅。階段を下りた、手前のスペースが旧水仁線のホーム。きれいなタイルが敷かれ、さほど古いホームではないことを物語る。

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 ポイントを切り替える転轍機

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 駅の近くには、踏切も残っており、地元中学生の通り道になっていた。京仁線の高架線と、真新しいマンション群に囲まれた安山新都市。だが、そのふたつに挟まれたわずかなスペースに、忘れ去られたかのように畑と軽便鉄道の路盤が残っていた。

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 なぜ、このような形で路盤と畑が「保存」されているいるのか。それは、近い将来、旧水仁線のルートに、新しい水仁電鉄線を建設する計画があるからだろう。本格的な建設工事が始まれば、この路盤も畑も、あっという間に消えてしまうに違いない。

 続く。

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2004.09.10

9月17日帰国へ

 いやあ、完全帰国です。思えば、留学で初めてソウルに来たのは、2001年9月18日のことでした。911テロの1週間後のユナイテッド航空は、ぴりっぴりに緊張していたのを覚えています。

 長かったようで短かった3年間。さようなら、ソウル。次にソウルに来るのは、10月になるでしょう。

 え、なにかおかしいですか。

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動物写真4題

お口直しに、最近ソウル周辺で見かけた動物の写真を公開。コメントは皆さんで想像してみましょう。

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 総合テーマパーク「エバーランド」の動物園にいたウサギ。9月5日。

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 楊州市郊外、楊州別山台タルチュムノリ公演場近くの食堂で飼われていた子犬。9月1日。

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 ソウル駅西口近くの雑貨屋で飼われていた子猫。9月9日。

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 果川市の動物園、ソウル大公園のアフリカ象。子どもが投げたにんじんを探している。9月8日。

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竹島/独島問題のはなし

 昨日の続きを書いてみたけれど、やっぱり彼女の発言をかなり晒してしまうことになるので、破棄。レンガ造りのおしゃれな店で、竹島/独島問題の日本の立場を説明するのも、韓国ならではの体験だったと思いたい。

 ひとつだけ書いておこうかな。こんなやりとり。

「うーん、日本も根拠がなくて主張しているわけじゃないよ。だから、日本は国連の国際司法裁判所に判断を任せることを主張してる。世界に、公平に判断してもらおうと言ってるんだ」
「でも、日本は大国だから、国連で争いになったら、当然日本が勝つんじゃないですか」
「いや、アメリカならともかく、日本は国連でそんな力はないよ」
「そうでしょうか? それに、たとえばカゲリさんが住んでいるところに後から外国の人が来て、ここは自分たちのものだから裁判しようといったら、誰でも気分が悪いんじゃないですか?」
「いや、その例えは……えー……」

 言葉につまってしまった。 ”竹島/独島が元は韓国のものだったという点に争いがなければ成り立つ話だが、まさに日韓はそこを争っているのだから、比喩として不適切だ”と言いたかったのだが、韓国語が浮かばなかった。このあたり、韓国の人と竹島/独島問題について話すとき、いつも苦労するところだ。「独島は元々韓国の領土で、近代になって日本が帝国主義的野心から領土権を主張し出した」という自国の見解を突き放して検討できる人は少ない。以前はよく、「日韓のためにも、あんな島なければ良いのにって思うんだけどねー」と言っていたが、逆に「韓国の領土なのに、なければいいなんて、ひどいんじゃないですか」と怒らせてしまうことがあったので、最近は自制している。

 まともに日本の立場を説明しようとすれば、三国史記や高麗史地理志、大東輿地図といった文献に言及しなくてはならず、そこまでやると完全な討論になってしまう。これまで多くの人から竹島に対する認識を訊かれたが、ほとんどの人は、好奇心から日本人の考え方を知りたいだけなのだ。だが、ご飯を食べながら軽く話すというレベルでは、日本には日本の主張がある、ということをわかってもらうのは難しい。韓国で暮らしていて、せつなくなる一瞬だ。

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2004.09.09

弘大のAGIOで……

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 弘大正門近くのパスタレストラン、AGIO。知人の韓国人女性と、二人で食事に訪れた。木と蔦に囲まれたおしゃれな店で、雰囲気のある建物は、映画「猟奇的な彼女」にも登場した。レストランにはテラス席もあったが、薄着の彼女には寒いかもしれず、窓際の席を選ぶ。メニューを眺め、パスタを注文。僕はラザニア、彼女はシーフードパスタ。

「カゲリさんは、この店によくいらっしゃるんですか」
「仕事で来たことはあるんですけど、こうして食事をするのは初めてです」

 彼女は、日本語が全くできない。僕のつたない韓国語で、当たり障りのない会話を楽しむ。やがて料理が運ばれてきた。久しぶりのパスタ。女性の前でみっともない食べ方をするわけにはいかず、フォークとスプーンに神経を集中させる。彼女も同じ思いなのか、しばらく会話がとぎれた。

「あの……」

 彼女が、恥ずかしそうに口を開いた。

「ん? なに?」

 僕は、優しくほほえんで受け取る。彼女は、安心したように言葉をつないだ。

「独島のこと、どう思いますか」

_| ̄|○

(眠い。限界。必ず続く)

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2004.09.07

9月6日、ソウル

 久しぶりに、だらだら書いてみる。

 某雑誌の韓国特集が大詰め。昨晩から明け方まで初校ゲラ(原稿とデザイン指定から、まず誌面を作ったもの)と格闘した。5時前にいったんチェックを終了し、9時半まで寝る。目を覚ますと、シャワーを浴びてから電話チェック作業にとりかかった。11時30分までに終了し、メールで東京に送って作業完了。

 午後はカメラマンに変身。明洞で知人のライターNさんと待ち合わせ、彼女の取材にカメラマンとして同行するのだ。5軒ほど店をまわり、外観や商品を撮っていく。店の中で商品撮影をせねばならず、おおいに苦労した。技術も未熟だが、基本的な照明の機材が足りない。

 2軒終わったところで、明洞の「かつら」へ寄って遅い昼食。元は月桂冠が出資していた日本料理店で、今は韓国人が経営しているが明洞ではいちばんまともな日本食を味わえる。納豆定食7000Wは、サンマ焼に納豆、ごはん、みそ汁、そしてキムチという取り合わせ。久しぶりに食べる納豆は、やっぱり旨かった。

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▲我が故郷の味、納豆。

 残りの3軒をなんとかこなし、18時前に取材終了。ダンキンドーナツでお茶をしてから鍾路3街でNさんと別れた。僕はその足で忠武路へ。キヤノンのサービスセンターへ行き、一眼レフの中に入り込んだゴミをとってもらう。先週もやってもらったばかりなのに、ちょっと恥ずかしい。デジタル一眼レフは、レンズを交換するときに中の精密機械が剥き出しになるので、ゴミが入りやすいのだ。

 映画館街として有名な忠武路に来たのだし、映画を見て行こうかと思ったが、荷物が多いのでやめた。その代わり、大韓劇場の向こうにずらりと並ぶペットショップ街をひやかすことにした。いつかも書いたが、韓国はペットといえばイヌだ。逆にネコは目つきが怖いと嫌われ、飼っている人は少ない。

 だが、久しぶりに来た忠武路ペット商街は、ネコがやたらと増えていた。以前は、道路に面したショーケースには子犬ばかりで、猫はたまに奥のケージにぽつんと入っているだけだったのだが、今日はイヌに混じって店頭に猫がいる店もちらほら見かける。いくつかの店では2段のケージの上段を子犬、下段を猫に分けていた。白い雄猫をケージから抱き上げ、店員からいろいろ説明を受けている若い女性。すっかりその子猫が気に入ったらしく、「かわいー」を連発している。子猫のほうは「オレノシッポサワルンジャネーヨ」とご機嫌斜めなのだが、彼女にはそれも可愛く見えるらしい。彼女がその子猫を連れて帰っていくまで、ずっと外から見守ってしまった。端から見たら、かなりヤバかったに違いない。

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▲お店は撮れないので、こいつで。ほふく前進の訓練中?

 忠武路から0013番のバスで新設洞へ。8時の時報とともにバスを降り、駅前のホプ(ビアホール)で生ビールを一杯。韓国の生ビールは、薄いけれど飲みやすく、500mlのジョッキが2000Wと安いのがいい。テレビを眺めながら2900Wのトンカツ定食で夕飯とし、歩いて家に帰ると9時半だった。

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2004.09.05

1930年代のソウルのカラー写真?

 大変貴重な写真が手に入ったので紹介したい。

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▲クリックすると拡大します

 日本植民地時代の鍾路を走る、霊泉発東大門行き京城市電。向こうに見えるのは東大門だ。現在は直線の鍾路だが、当時は緩くカーブしていたらしい。当時としては極めて珍しいカラー写真である。キヤノンで撮影とあるので、1930年代と思われる。歩道を歩く女性たちの服装がやけにハイカラで、今着てもおかしくない。さすがは朝鮮半島の中心地と言えよう。

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 本町。現在の明洞だ。京城郵便局(現ソウル中央郵便局)が見えないので、本町東側、現在の明洞iTelホテル付近か。

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 場所不明。洗濯屋のほか、写真館の看板が見えることから忠武路の劇場街横かもしれない。奥の建物が張りぼてのように見えるのは、気のせいだろう。

 ……などと、明け方に何アホなことやってるんだ僕は……。

 上の3枚の写真は、ウソです。僕がデジタルカメラで撮影し、フォトショップでノイズを載せて昔の写真っぽく演出したものです。どこで撮影したのかと言うと、京畿道、富川市にあるファンタスティックスタジオ

 ドラマ「野人時代」や映画「ブラザーフッド」のロケに使われたオープンセットで、1930年代の京城(当時)の町並みが再現されている。近くで見るとやはり作り物なのだが、なかなか当時の雰囲気をよく再現しており面白い。現在の鐘閣駅から鍾路3街、清渓川、ソウル市議会前など、現在のソウルの町並みを知っている人にはかなり楽しめるはずだ。鍾路を走る京城市電は実際に鐘閣-東大門間(といっても200mほど)を運行しており、乗車することができる。

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▲富川ファンタスティックスタジオ。今日は無料開放デーだった。

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▲鐘閣交差点。背景の和信百貨店は、現在の鍾路タワー

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▲京城市電の向こうに、近代的な高層マンションが建ち並ぶ

 このての見どころとしては、「共同警備区域JSA」のセットがあるソウル総合撮影所が有名だが、町全体を再現したこちらのほうが楽しめる。駄菓子屋やうどん屋がセットの建物内で実際に営業しているのも楽しかった。

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2004.09.04

永豊文庫で会った老紳士

 夜、永豊文庫の日本書籍売場で立ち読みしていたときのこと。

「あの、日本の方ですか」

 振り返ると、70代くらいのこざっぱりした老紳士が立っていた。ほぼ完ぺきな日本語だ。

「ちょっとお尋ねしたいのですが……」

 日本語の単語についての質問だった。僕も聞いたことのない単語で、すみません、わかりませんと答える。言葉を生業とする者として、ちょっと自尊心が傷ついた。

 質問はそれだけだったが、老紳士の話は終わりではなかった。

紳士「あなた、韓国へはどうして。ああ、韓国語を習っていらっしゃるんですか。最近、日本では韓国が流行しているそうですね。私の若い頃には考えられなかったことだ。あの、ペーサマとかいう……」
僕「ヨンさまです……」
紳「ああ、そうそう。ヨンサマ。しかしおかしいですなあ。どうして、日本であれほど韓国の役者が人気になるのか……。」
僕「主に、三十~四十代の女性が好んでいるようですよ。日本ではあまり見られなくなった男性像が良いとか……」
紳「私も日本に何度も行きましたが、日本は、結婚すると男の人はみんな妻を ”おい、おまえ” と呼び、女の人は敬語で ”はい、旦那様” と言いますからねぇ。」
僕「え」
紳「韓国では考えられんことです。韓国では、女性が尊重されますから。ご存じですか。韓国では、結婚しても女性の名字が変わらんのです。」
僕「あの、でもそれは」
紳「結婚したからと、女性に対して敬語を使わなくなる人は、韓国には一人もいません。そんなことをしたら、たちまち社会で立場を失います。」
僕「……」
紳「日本の女性は、 "おい、おまえ、××しろ" "はい、旦那さま、ただいま" という生活に慣れているから、女性を大事にする韓国の男性に憧れるんでしょうな」
僕「……さ、さいきんのわかいふうふはそうではないかも……」
紳「だから、三十、四十という世代の女性に特に人気なわけですな。ふうむ。いや、いい話を伺いました。それでは失礼します。勉強頑張ってください。」

 老紳士は、満足そうに去っていった。

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2004.09.03

書記長んちの猫

 書記長を呼び出したら、返り討ちにあった。
 この前ドタキャンした罪滅ぼしに、サムギョプサルでもおごらせようと画策していたのだが、気が付くと僕が払っていた。さらに車で連れ去られ、アリラン峠の住宅地に押し込まれる。

 「うちの猫可愛く撮れやゴルァ」。

撮った。

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↑やばいところを全部真っ黒にしてみた。

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↑なぜ縦構図なのか、意図がわからない。

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↑鼻先にピントがあって、目はピンぼけ。耳も切れて、撮影者のヘタレっぷりがよくわかる。

午前1時。無事解放。猫を撮ってくれた御礼にと、ドーナツを一個もらった。涙が出た。

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2004.09.01

写真を撮りに南漢山城へ

 南漢山城に、写真を撮りに行ってきた。

 プロのカメラマン並とはとても言えないが、編集カメラ*を超えたレベルの写真は撮れると自負していた僕だったが、ここのところその自信が崩れている。李氏朝鮮王朝の儀式ではぼけぼけの写真を連発し、遊園地では強烈な西日と大規模な改装工事に対処できなかった。

 今日は、名誉挽回のチャンスである。南漢山城は、李氏朝鮮時代の17世紀前半に築かれた山城だ。後金(後の清)の侵略を受けたときには一時国王がここへ避難するなど、歴史的に大きな意味を持つ遺跡である。深い森に包まれた山の中にあり、城だと一目でわかる写真を撮るのはなかなか難しい。狙うは、唯一朝鮮時代から残る見張り台、守御将台。バスを乗り継ぎ、タクシーに相乗りし、3時間かかって登山口に着いた。ここから山道を歩いて登る。

 案内図で道のりをしっかり確認し、一眼レフとレンズ2本、三脚を担いで登山開始。ゆるい坂道を歩くだけだが日差しが強く、機材を持つ身にはけっこう応える。汗をだらだら流しながらしばらく登ると、城壁にたどり着いた。かなり古そうな壁もあるが、草木に包まれなかなか上手く撮れない。城壁から麓の眺めを撮ろうにも、靄がかかってよく見えない。

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 しょうがない。使う写真は1枚くらいだから、守御将台をきっちり撮りさえすれば良いだろう。坂を登っていくと、やがてそれらしき屋根が見えた。太陽の向きもばっちりだ。これは、きれいな写真が撮れそうだ。

 着いた。
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 「守御将台は保守工事のため、しばらく立ち入りを禁止します。ご不便をおかけし、申し訳ございません」。

 先に言ってよ……_| ̄|○。

編集カメラ
ライターや編集者が取材のついでに撮影するためのカメラ。写真が重要でない誌面なら、そのまま使われることも多い。

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