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2004.08.29

NHK国際放送のオリンピック速報

 ちょっと仕事がたてこみ、ばたばたしていたが、家ではずっとテレビを付けっぱなしにしてオリンピックを見ていた(というか聞いていた)。

 NHKの国際放送では、原則としてオリンピックの映像を見ることはできない。オリンピックの放映権は、放送する国の放送局のみに与えられるので、NHKは日本以外にオリンピックの映像を流すことができないのだ。だから、普段は生放送のニュース番組もすべて1~2時間遅れで、オリンピック関係の映像をすべてカットした後にやっと放送になる。

 ただ、今回のアテネオリンピックでは、「ねばり強い交渉の結果(NHK談)」、現地の放送局が放送を終えた時間帯に、ごく限られた時間、映像を流せることになった。こうして、NHKワールドプレミアムでは毎日数回、5分ほどのアテネオリンピック速報を放送している。おかげで、韓国選手の敗退と同時に中継が終わった柔道の谷・野村も、なんとか金メダル獲得のシーンを見ることができた。

 さて、そのオリンピック速報でレポートをするのは、NHKのスポーツキャスター、西田善夫氏だ。この西田さんが実にいい。もうお爺さんとも言うべき年代の方だが、連日、実に嬉しそうに日本人選手の活躍を伝えるのだ。

「えー、ニッポンのメダルラッシュが止まりません(にこにこ)」
「男子400mリレー。これ、実は5位だったんですねぇ。それがタイムに救われ、決勝進出となりました(ほっ)」
「どうか皆さん、アテネで頑張るニッポン選手に、海外からどうぞご声援ください」

 にこにこと笑顔で日本選手の活躍を伝える西田さん。まるで、老人会での出来事を孫に聞かせるおじいちゃんのようだ。毎回最後に言う「どうぞ海外から応援してください」という言葉が心にしみる。あー、僕って国を離れて海外に暮らす日本人なんだなあと感じた次第。

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2004.08.25

華城での、写真にまつわる話

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▲水原華城のシンボル、八達門

 起きたら比較的きれいに晴れていたので、写真を撮りに水原華城へ。

 水原華城は、1796年、朝鮮王朝第22代正祖大王が、首都移転を企図して築いた城郭だ。大都市・水原の真ん中にあるが、その保存性と造形美、建築的価値から1997年ユネスコの世界文化遺産に指定された。よく保存された美しい朝鮮式の城郭を間近に見られるという点で、ソウルにない魅力がある。城壁からの見晴らしも素晴らしい。

 水原市のシンボルでもある八達門から撮影を開始し、小高い丘に沿っててくてく歩いていくと、女の子が二人、「何してるの?」と近寄ってきた。「写真を撮ってるんだ」というと、「わー、わたしたちも撮って!」。華西門をバックに撮ってあげ、モニタで写真を見せてあげると、二人は大喜び。「ありがとう~」と言って去っていった。こんなふうに、子どもたちから写真を撮ってと頼まれることは多い。たいてい、「送って」と言うでもなく、文字通り「撮ってあげる」だけで喜ぶ。「自分を撮ってくれる」という行為自体が嬉しいようだ。

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▲「1枚、私たちも撮ってください!」

 しばらくして、長安門を撮っていると、今度は二人組のおっさんがカメラの前に立ちふさがるように現れた。

「おい、何をしてるんだ」
「何をしてるんだって…… 写真を撮ってるんですけど」
「だから、何を撮ってるんだ!」
「見ればわかるでしょう。長安門撮ってるんですよ」
「……ああん、なんだと? ふざけてんのか。おまえ、その写真何に使うんだ」

 というわけで、写真を撮っているだけでイチャモン付けてくるオッサンも多い。とくに、一眼レフなどを使っているとかなりの確率で言われる。観光案内所の建物を撮ったら、係員が数百メートル追いかけてきて「なぜ写真を撮るのか、何に使うのか」と訊かれたこともある。どうも、韓国にはスナップ写真という概念が浸透していないようだ。観光地に行っても、いかにもなポーズをとった「記念写真」ばかり撮っている。とくに中年以上の人には、写真を撮る=何か悪いことに使うのではないかという意識があるようで、このあたり、軍事独裁政権時代の名残なのかもしれない。

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2004.08.24

オドゥ山統一展望台

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▲手前は韓国、向こう岸はいきなり北朝鮮。

 オドゥつながりというわけではないが、オドゥ山統一展望台に行ってきたお話。いわゆる非武装地帯の手前、思いっきり普通のエリアにある施設だが、実はどこよりも北朝鮮の集落を間近に見ることができる。ここは、非武装地帯を挟まずに、南北の集落が臨津江を隔てて直接向かい合っている、数少ない地域なのだ。そんなわけで、今日のように晴れた日には、開城市郊外の農村がこんな風↓に見える。
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▲クリックしてみましょう

 この集落は、対南宣伝の目的からかなり文化的な建物が揃えられているのだが、一応、本当に人が住んでいるらしい。写真を見ると、公民館、アパート、小学校などが見える。金日成像もあるようだが、木の陰になっているらしく、この写真では確認できない。

 写真撮影が厳しく制限されるDMZ(非武装地帯)とちがい、このように自由に写真を撮れるのが統一展望台の魅力だ。眠いので、以上、おわり。

 

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2004.08.23

オトゥゴンバイヤー選手

 いい加減寝ようと思ってたら、いきなりKBSの画面が女子マラソンに。

 一人の選手が、足を引きずり、ほとんど競歩のようなペースでトラックに入ってきた。

 モンゴルの、オトゥゴンバイヤー選手だ。最後の選手として、今、完走を果たそうとしている。
 スタンドに残った観客たちが、全員スタンディングオベーションで彼女を迎える。
 ゴール。記録、3時間48分42秒、66位。
 優勝した野口みずき選手(2時間26分20秒)より、1時間22分22秒遅れての完走だ。

 オトゥゴンバイヤー選手は、ゴールしたあと、意識がもうろうとして今にも倒れそうな状態だったが、鳴りやまない観客の拍手に笑顔を見せ、手を振った。

 こういうのも、オリンピックならではの光景だ。足を故障しながら、最後までがんばったオトゥゴンバイヤー選手に拍手を送りたい。

 ちなみに、韓国の選手は19位、23位、35位だった。

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野口金メダルおめでとう

いやー、今大会、いちばん面白かった。
野口選手、おめでとう。

最後は、SBS(ソウル放送)で見ていた。最初KBS1で見ていたら、20km地点で他の中継に変わってしまい大ショックだったのだが、SBSが最後までやってくれて良かった。

実況・解説も、民放SBSにしては非常に公正中立で、日本選手に対しても好意的だった。

SBS中継終了。KBS1にしたら、またマラソン中継に戻ってた。
画面が、KBSスタジオに戻る。

女性アナ
「いやあ、日本選手が底力を見せました。野口選手はもちろん、土佐選手、坂本選手も入賞を果たしました。これで日本は女子マラソン2連覇。本当に……すごいですね」
男性アナ
「はい、本当にそうですね。我が国の選手は、結局映像に一度も映らず、残念でした。今後の活躍に期待したいところです」

今回のオリンピックでは、全体に日本選手に対する好意的なコメントが目立つように思う。とりあえず、今のところ日本選手を特に貶すような発言は耳にしていない。韓国社会の成長の証だろうか。

ところで、KBSのオリンピックテーマ曲、これ「レオン」?

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2004.08.22

ソウル総合撮影所・JSA板門店セット

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 2年ぶりにソウル総合撮影所に行ってきた。多くの韓国映画が製作されるスタジオで、映画「JSA~共同警備区域」のオープンセットを中心に、一種のテーマパークとして公開されている。正直、セットは野ざらしでだいぶ荒れているし、それ以外の展示もたいしたことなく、わざわざ行くほどのところでもない。だが、実物の板門店を見た後で訪れれば、それなりに面白いかもしれない。

 そういうわけで、写真を見ながら板門店オープンセットの完成度を見てみよう。

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 こちらが本物の板門店。写真で見る限り、セットもなかなかよく再現しているように思える。一見して異なるのは北朝鮮側の「板門閣」が、実物は増築して3階建てになっていることで、ほかにも正面中央の扉がセットにはないなど、よく見れば結構違う。このあたり、雰囲気重視で細かいところにこだわらない韓国人らしさが出ている。こういう大らかさが韓国映画には良い方に作用し、その結果映像に勢いが生まれているのではないか。実際、JSAは映像に迫力があり、韓国映画としてはかなり良い出来だ。

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 映画の有名なカットと同じアングルで撮ってみた。

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軍事停戦委員会会談場内部もなかなか良くできている。上がセット、下が本物。上の写真の手前に写っているテーブルの辺りで、イ・ビョンホンとソン・ガンホの対面シーンが撮影されたはず。

※本物の板門店の写真は、板門店ドットコムから借りましたm(_ _)m。

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2004.08.21

新村「MIKYROAD~ミルクの旅」

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かつて高麗大に短期留学し、今は延世大語学堂に通うKさんと新村で会った。
久しぶりにスイーツ撮ってみる。黒いので、あんまり美味しそうじゃないなあ。

最近できた、「MILKYROAD~ミルクの旅」の、黒ごまヨーグルト(だったかな?)。Kさんのお奨めだ。

RedMangoと同様、ヨーグルトアイスの専門店なのだが、黒ごまのアイスクリームがなかなか良い。
ごま特有のしつこさはなく、香ばしさだけを取り込んだ甘さ控えめのアイス。それが、酸味の利いたヨーグルトによく合う。真っ白なイメージのお店は、僕のような男が来て良いものか迷うほど洗練されたイメージで、お手洗いもきれい。
けっこう気に入った。

6000Wと高いのが玉に瑕かな。

写真も、もう少し工夫しないと。

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子ネコの「モラン」、その後。

明け方、メールが届いた。

「写真、本当にありがとうございました。
こんなに早くいただけるなんて、びっくりしました。
実は、あの子ネコ、彼女の家では飼えないことになったんです。
彼女の姉妹がネコアレルギーだったこと、知らなかったんですよ……。
しょうがなく、別の人にあげたそうです。
子ネコちゃんに、とても可哀想なことをしてしまいました。

すごく無責任ですよね、あたしたち……。
でも、新しい飼い主の人には、絶対に捨てないで、もし飼えなくなっても、ネコちゃんがいちばん幸せになるようにしてあげてくださいって、伝えました。だから……

大丈夫ですよね。

今、一生懸命祈っているところです。
とても短い間だったけど、すごく情がわいて、とても寂しいです。ですから、この写真はずっと大事にします。
ほんとうに、ありがとうございました。」

そして、夜届いた、もう一通のメール。

「写真、とてもきれいに写っていますね! ありがとうございました。
昨日、すぐ動物病院に連れて行って、餌を食べさせてあげました。
こんなに可愛いネコちゃんを、捨てられるわけがありません!^^
わたしのうちでは飼えなくなってしまいましたが、別の友だちの家で飼ってもらえることになったんです。
昨日はとてもお腹が空いていたみたいで、ネコ用の餌を夢中で食べたかと思うと、ゴロゴロのどを鳴らしていました。
ゴロゴロいったり、じゃれたり、すやすや寝たり、本当に可愛いです。
ニャンコの名前も決まりました。
『モラン』です。ぴったりでしょ? もっと可愛くなるように、友だちと一緒に頑張って育てます。
今度は、わたしがモランの写真を送りますね。
それでは、ありがとうございました。」

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2004.08.19

モラン市場の子ネコ

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 ソウルの南、城南市のモラン市場へ出かけた。モラン市場は4と9の付く日に開かれる五日市で、昔ながらの市場の雰囲気を残している。日用品から食料品、薬品などなんでも扱い、また食用犬の卸市場としても、最大級の規模をもつ。

 愛玩動物の売場で、子犬たちに囲まれて、2匹の子ネコが鳥籠に入れられていた。その籠の上に、もう一匹子ネコが。ちょびひげを付けた白黒で、てっぺんが丸い鳥籠から今にも落ちそうだ。子犬に囲まれ、怯えてぴぃぴぃ鳴いている。

 可哀想になって、ひょいと抱き上げた。がたがた震えているのがわかる。

「5000Wでいいわよ。ああ、日本人なの。じゃあ、ゆっくり可愛がって行って」。

 おばちゃんも、悪い人ではないようだ。左腕に乗せ、そっと撫でているうちに、震えは止まった。だんだん落ち着いてきたようで、次第に僕の指にじゃれるようになってきた。

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▲ちょびひげは、手前の籠の上で鳴いていた

 15分くらい、そのままあやしていただろうか。そろそろ行こうかな、と思ったその時。

「わあ、見て!かわいい!」

 高校生くらいの女の子が二人、僕の腕の中のちょびひげを見て駆け寄ってきた。

「おじさん、このネコ、買うんですか?」
「ちょっと抱いてみてもいいですか? わー、よく馴れてる。この子ほしい~」

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▲やっぱり、可愛くない。でもそれがいい

 ちょびひげは、僕が撫で続けたおかげか、すっかりご機嫌で精一杯の愛嬌を振りまいている。ネコ、買いに来たの?

「うーん、彼女が飼いたいって言うんで見に来たんですけど、まだ親の許しはもらってないんです。彼女んち、犬も飼ってて、みんな動物好きなんですけど……」
「ね、見て。あたしの手舐めてる! この子がいいな。あたし、ママに電話してみる」

 女の子は、携帯で電話をかけた。が、誰も出ない。

「どうしよう、無断で連れて帰ったら、怒られるかも……」
「うーん、あなたのうちなら、大丈夫だとは思うけど……」
「でも、犬がいるし……」

 何度電話しても母親は出ない。とうとう、彼女たちは、親に無断でちょびひげを連れて帰ることを決断した。

 かわいさあまってネコを連れて帰り、親に「捨てて来なさい!」と怒られるというのはよくある話だ。このくらいの子ネコでは、捨てられたら最後、ネコ好きの少ない韓国で生き延びることはできまい。迷った。止めるべきではないのか。

 でも、このちょびひげは、僕がふと可哀想に思って抱き上げたおかげで落ち着きを取り戻し、彼女たちに「可愛い、ほしい」と思われたのだ。これも運命ではないか。このぶさいくな子ネコがこれほど韓国人に気に入られるのは、もしかしたらこれが最初で最後かもしれず、それは、この韓国では奇跡的な幸運なのかもしれない……。

 僕は、彼女たちに名刺を渡し、絶対に捨てたりしないこと、育て方でわからないことがあったら連絡するように言った。そして写真を撮り、メールアドレスを教えてもらった。

「はい、ありがとうございます。必ず大事にします。名前は……モラン市場で買ったから、モランがいいわ。モラン、モランや~」

 そう言って、二人は大事そうにちょびひげ…モランを抱いて去っていった。白黒のモランが、家族に受け入れられて幸せに育つことを祈りたい。

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2004.08.18

韓国vsマリ 韓国0-3から同点

どうなっちゃってるの? 0-3で、もしかして準々決勝危うし?、とか思ってたら、後半10分ごろから10分ほどで、あれよあれよという間に同点に。

しかも、3点目はマリの選手の「みごとな自殺点」。身体にあたって入っちゃった、とかじゃなくて、完ぺきに狙ったヘディングでしたよ、あれは……。あんなオウンゴール、初めて見た。

狐につままれたような気分の、午前3時55分。

後半27分。マリ、まったくやる気ありません。まだ20分あるのに、最終ラインでパスをてれてれ回してます。
このまま同点で終われば、仲良く8強なんだから当たり前か。

野球見たい~。

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「風のファイター」

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 そんなわけで、東大門MMCで見た「風のファイター」。

 極真空手の創始者で、在日韓国人だった大山倍達の一代記。平山あやがヒロイン「陽子」、加藤雅也が主人公・崔倍建のライバル、武士の血をひく武芸家・「加藤」として出演している。主な舞台は、昭和20年代の日本だ。

 感想。えー、大山倍達ではなく、せがた三四郎だった。その筋の方は、ぜひ見逃さないように。

 韓国人が演じる日本人は、例によってムリヤリな日本語がいっぱいだ。

「コノ、チョウセンジンガー!」
「イマゴロニナッテ、ミカジメリョーカヨー」

頑張っているのはわかるのだが、聞き取るのに苦労する。

「ヤメテクダサイ!ダレカ、タスケテクダサイ!」
「キット、アノタスケテクレタヒトガ……」

 ……平山あやだった_| ̄|○

 映画は強引な展開で完成度は低かったが、「かっちょいいアクション映画を作るぞ!」という意気込みは気持ちよく、2時間たっぷり楽しめた。物語は、まさにせがた三四郎(わからないって?)。大山倍達が、差別される。強くなる。強くなる。挫折する。あ、恋愛?そんな感じ。一人にもかかわらず、声に出して突っ込み入れていた自分がちょっと怖い。

 時代考証がどう見ても戦前だったが、ロケ地がKBS水原スタジオオープンセットと愛知県の明治村だったので、やむを得ないところか。でも、池袋の闇市に「ぜいたくは敵だ」の垂れ幕があるってのはどうかなあ。パチンコは「パチソコ」だったし。

 客はよく入ってた。やっぱり、こういう単純明快なアクションものは受けるみたい。

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2004.08.17

「ニュー在日」の出演者からメールが

 SBS「そこが知りたい~ニュー在日」を見たと書いたら、その番組に出演していた在日韓国人3世の方からメールをいただいた。検索していたらここに辿り着いたそうで、さすがはブログ。

 メールは、自分が取材を受けた番組を見ることができないので、どんな風に出ていたかを簡単に教えてほしいというものだった。快く承諾し、VODで再視聴しながらテキストにおこす。最初のうちは、「小泉がチェジウに会う」「ペヨンジュンの来日時の映像」といったぐあいに、ごく簡単にすませるつもりだったのだが……。

 テレビは、ずいぶん前からだいたい内容が理解できるくらいには聞き取れる。ところが、あらためて日本語に訳してテキストにおこそうとすると、わからない単語のなんと多いことか。9割聞き取れるというのは、実は「10語に1語はわからない」ということだったのだ。もう一回、もう一回と繰り返し見て聞き取っていくうちに、気が付いたら一字一句完全テキスト起こし作業になっていた。こりゃいかん、徹夜になってしまう。

 韓国向けの放送だから、ナレーションに字幕は出ない。だが、このナレーションこそが番組の切り口を語るもので、いちばん重要だ。ビデオではなくVODなので、ちょっとでも前に巻き戻した?だけで、データをダウンロードし直さなくてはならない。結局、その方が出演されているシーンを中心に15分分ほどをテキストにしたのだが、それでも3時間くらいかかってしまった。どうしても聞き取れないところはとばしたが、気分はいい。とても良い勉強になったのだ。

 だらだら文章を書いたおかげで、一人友だちが増えた気分。今日は気持ちよく眠れそうだ。

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2004.08.16

ソウルで観戦、北島康介おめでとう!

金メダルおめでとう!

MBCで、見てました。
韓国選手が出ていないこともあり、アナウンサーも北島を応援してくれてましたね。
レース中も、終始北島の話でした。

いやー、柔道は、韓国の選手が負けるとそこで中継終了なので不満だったのですが、水泳はイアン・ソープのおかげかちゃんと見られてます。めでたい。

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光復節、そしてデモ

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 今日は光復節。1945年8月15日に太平洋戦争が終結し、韓国が日本の植民地支配から解放された日だ。毎年、この日前後になると、帝国主義日本の蛮行を暴く特別番組が組まれたりする。

 そんな8月15日、17:00。
 教保文庫へ行こうと光化門のほうへ歩いていくと、なにやら様子がおかしい。鐘閣駅から光化門交差点までの鍾路が自動車進入禁止になっている。

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 デモだった。最近の韓日友好路線に反対し、日本の軍国主義復活を糾弾する反日糾弾デモだろうか。

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 違う。反米・イラク撤兵要求反政府デモだ。連日教保文庫の横でキャンドルデモを繰り広げ、すっかりデートコースのひとつとなったこのデモだが、今日はちょっと雰囲気が違う。機動隊と真っ向からにらみ合い、警察側は放水でデモ隊を挑発している。

 教保文庫脇の一派が、挑発に乗って投石を始めた。一瞬、緊張した雰囲気が流れる。

「皆さん!! 石を投げないでください! あくまでも、最後まで平和的にやろうではありませんか!」

 お立ち台の上でアジッていた民主労働党の活動家が叫び、武力衝突は回避された。

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▲投石では負傷者も発生
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▲韓国のおばちゃんはエライ!
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▲おいおい、デートしてる場合じゃないだろ

 こうなると、気になるのが反日糾弾デモだ。別の場所で、同じようにアジっているのではないか。日本の大使館は、大丈夫であろうか。

 同日、18:00。ソウル、日本国大使館。

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 暇そうだった。まあ、警察車両が周辺の道路を封鎖していたので、当たり前といえば当たり前。それよりも気になるのは、一般の日本人観光客の安全だ。つい、反日感情を露わにした心ない人に、危害を加えられたりしてはいないだろうか。

 同日、午後。ソウル、北村洞・中央高校。

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「ここが、ユジンとチュンサンが出会った高校でーす」

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2004.08.15

韓国代表、メキシコを破る

ギリシャとの引き分けに続き、メキシコを1-0で破った韓国代表。
これで、一次リーグA組の韓国は、マリと並び勝ち点4。得失点差で2位なものの、準々決勝進出が現実味を帯びてきた。

ニッポンはパラグアイに敗れて後がなくなっているが、ぜひ両国一緒に決勝Tに進んでもらいたいもの。

ああ、今日も徹夜してしまった。寝ます。

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ソウルのフリーペーパー「cocofun」

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 文章書くのが面倒なので、手抜きで行きます。最近人気の、フリーペーパー「cocofun」。

 今のところソウルだけのようだが、鍾路・明洞篇、新村・弘大篇、江南編などエリア毎に分かれており、情報量豊富。写真もなかなかきれいで、地図は驚くほど精細だ。記事はすべてクーポンになっており、要は「Hot Papper」の韓国版。正直言って、これの日本語版をタダで配られたら、大変な驚異になるだろう。

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▲どこかで見たような誌面だが、かなりきちっと作られている

 cocofunは、韓国語版だけだが、主な繁華街で入手することができるようだ。僕は、大学路のマロニエ公園前のキャンペーンデスクでもらった。

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▲正確な地図。数年前からは考えられないこと

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SBS「ニュー在日」を見た

 SBSのドキュメンタリー番組「そこが知りたい」(どっかで聞いたことあるな)。今日のテーマは、「ニュー在日」。新世代の在日韓国人3世にスポットをあて、彼らの意識や、日本人・韓国人・旧世代在日韓国人から受ける様々な差別や葛藤を浮きぼりにする趣向だった。たまたま、「おフランスの恋人ざます」とかいうドラマをつけていた流れで見たのだが、在日の人たちが韓国で受ける差別にも言及している内容に注目した。とかくこの手のドキュメントは、「僕たち日本からこんなに差別を受けました!」という話に終始しがちなのだ。おおいに興味を持って見たのだが、良かったのは前半だけだった。

 最初のうちは、”日本国籍を取って「韓国系日本人」として生きていきたい”と話す3世が出てくるなど、とても考えさせる内容だったのだが、途中から辛淑玉や弁護士が出てきて、「在日はこんなに差別されている、選挙権がないのは不当」という宣伝に変わってしまった。国籍を日本に変えれば選挙権も得られるのに、どうしてそれに抵抗があるのか。そうした状況について、当の若い在日韓国人たちはどう思っているのか。1世と3世の意識の差。前半に提示された注目すべきテーマは、後半では一切無視されていた。

 多くの日本人に、韓国を下に見る意識が残っているのは事実だ。しかし、「僕たちは日本人でもなければ韓国人でもない。在日韓国人だ」と語る若い在日韓国人を作ったのは、果たして日本社会だけの責任なのか。「韓国系アメリカ人」や「朝鮮系中国人」は良くて、どうして「韓国系日本人」はだめなのか。植民地時代の恨を、現代の若者に背負わせるのが、果たして正しいことと言えるのか。そうした命題について、少しでも考える姿勢を見せてほしかった。

 この番組、途中で制作の方針が変わったのではないだろうか。日本社会が持つ差別意識と、韓国社会が持つ差別意識。このふたつを対等に扱おうとした内容は、光復節前後の番組としては、ふさわしくないとされたのかもしれない。だが、韓国も少しずつ変わりつつあると感じさせる、今日の「そこが知りたい」だった。

 この番組はインターネットで視聴できる。無料の会員登録をする必要があるが、「外国居住の外国人」用の登録サイトもあるので、挑戦してみよう。会員登録すると、FMラジオのストリーミング放送や、有料のVODコンテンツを利用することもできる。

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2004.08.14

大学路のカレー専門店

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▲エクステリアも、手作りながらも良い雰囲気を出している

 知人のキム・ビョンソク夫妻が、大学路にカレー専門店をオープンしたというので、友だちと行ってみた。

 その名も、「インドのトナリ」。
 日本にほぼ同名のカレーチェーンがあるが、全く関係ない。カレーも完全にオリジナルだ。

 ビョンソク夫妻は、以前は市東部の九宜洞でカフェを営んでいた。僕も何度か足を運んだが、雰囲気は良いものの場所が悪く、苦戦していた。昨年、忙しくて会えないうちに店じまいし、心配していたのだが、今年5月、このカレー店を開いた。どこにそんな資金があったのかと不思議に思う一方、韓国人のバイタリティに感心したものだ。

 カレーは、日本から香辛料を取り寄せた本格的なもの。既製品に頼らず、日本のカレーに匹敵する味をと、カフェをやっていた頃から試行錯誤していた。その甲斐あって、日本人の僕でも充分に美味しいと思える、ほどよく辛く、香り豊かなカレーになった。強いて短所を挙げるとすれば、タマネギが細すぎて食感が楽しめないことくらいだろうか。

 韓国でも、カレーは昔から洋食の定番メニューだが、味の方はお世辞にも美味しいとは言えなかった。黄色く、辛くない間延びした味は、かなり昔の給食カレーを彷彿させたものだ。しかし、近年本格的なカレー専門店が、少しずつ増えているように思う。高麗大の前には、インド人が経営する(らしい)インド料理専門店があるし、建大前にも、昨年カレー専門店がオープンした。

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▲込んでいたので、写真も手抜き。スモークチキンカレー

 僕が食べたスモークチキンカレーは6500W。スモークチキンの香ばしさがカレーによく合う。トンカツカレーなども各種あり、トンカツはきっちり日本風だ。地道な研究の甲斐あって、店は九宜の頃からは考えられないくらい繁盛していた。大学路という場所も、カレーにマッチしたのだろう。次々とお客が来るので、ビョンソクとあまり話をする時間もないまま店を出た。

 場所は、地下鉄4号線恵化駅4番出口から繁華街を直進、大通りに出る直前の角を左折した左側。第1・3水曜日はお休みとのこと。

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2004.08.13

ウソをつくタクシーと、会社員

 2001年2月、語学学校を見学しにソウルへ来た時のこと。観光公社の知人と延新内で酒を飲み、新村のホテルへタクシーで戻ろうとした。運転手に「シンチョン、ロータリー」と伝えて、後部座席へ。新村までは、15分くらいのはずである。
 それから20分。どうもおかしい。タクシーは漢江沿いに出、東へ向かって走っている。すでに新村ははるか後ろである。

 "Where are you going now? I said go to Shinchon!"

 つたない英語で文句を言ったが、運転手は、「イエス、シンチョン! オーケイ!」と言ってニヤニヤ笑った。

 ……おっさん、新川に行こうとしているな。

 ソウルには、延世大学のある新村とは別に、もうひとつシンチョンがある。江南・蚕室の新川だ。新村とは、「チョ」の字の発音が微妙に違う。

 いくら僕の発音が悪いといっても、シンチョンロータリーといっているのだから、延世大学の新村のことを言っているのは明らかだ。わざと聞き間違えたふりをして、20km先の新川まで行って料金をふんだくろうとしているのである。さあ、どうする。

 そのときである。そのタクシーには、もう一人、助手席に若い会社員風の男性が乗っていた。その彼が、何か韓国語で運転手に言った。運転手がニヤけながら答え、また男性が話す。何度かやりとりが繰り返され、次第に男性の語気が荒くなっていく。ついには怒鳴り合いの様相を呈し運転手は舌打ちをしながら車を停めた。

「降りてください。この運転手は嘘つきです。料金を払うことはありません」

 男性が、流ちょうな英語で促した。

 ありがとうございます、と礼を言うと、彼は「まだまだ韓国には、外国人を騙すタクシーがたくさんいます。本当に恥ずかしいことです」と言って名刺をくれた。サムソン生命、チェ・ヨンジュン。

 彼は、新村方面の道路まで僕を連れて行き、タクシーを止め、運転手に僕を新村ロータリーまで連れて行くよう伝えてくれた。

「では、お気を付けて。韓国の残りの旅が、良い旅になりますように」。

 あやうくぼったくりに遭うところだったが、彼のおかげで、韓国の印象は逆に良くなった。まだ、韓国という国がほとんど見えていなかった時代の話である。その後、ヨンジュン氏には何度か連絡をとったが、会えないうちに海外転勤となって、今に至っている。

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2004.08.12

高麗大学と中央高校

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 上の写真は、僕の第二の母校である高麗大学本館。下は、「冬のソナタ」の舞台として一躍有名になった、ソウル中央高校の本館だ。

 もう、どう見ても同じである。仕事で両者の写真を撮ることがあり、あらためて比べてみたのだが、想像以上にそっくりなので驚いた。高麗大とソウル中央高校は、運営母体が同じ姉妹校なのだ。

 日本の早稲田大学を卒業した"仁村"キム・ソンスは、1914年、経営難に陥った中央高校の経営を引き受け、1932年、高麗大学校の経営権を握った。ほかにも、1920年には現在も三大紙の一角を占める東亜日報を創刊する一方、1938年には国民精神総動員朝鮮連盟の発起人になるなど、親日派としての一面も持っていた。中央高校も高麗大も、民族教育を理念とする学校だが、その経営を安定させたキム・ソンスが、きっての親日派だったというのは、皮肉な話だ。

 高麗大、中央高校とも、日本統治時代の建築文化を伝える貴重な建物が多い。散策にもちょうど良いので、お暇な方は、どうぞ。

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ユン・ソナのドラえもん発言

 ソウルも暑い日が続き、どうもやる気なし。ということで、小ネタ。

 福岡の書店で、小学館の雑誌「ぼくドラえもん」を立ち読みした。韓国人タレントのユン・ソナが、ドラえもんについて語っていたのだ。その記事が手元にないので、記憶に頼った記述であることをお断りしておく。

「ドラえもんって、ずっと韓国のマンガだと思っていたんです。それで、日本でドラえもんを見たときびっくりして、「これ、韓国のマンガだよ」って言ったら、みんなに何言ってるの?て顔されて。韓国の人は、みんなドラえもんが日本のマンガだなんて知らないですよ。今度帰ったら、みんなに教えてあげようっと。みんな驚くだろうなあ」

 おいおい、ユンソナは、何を血迷ったことを言っているのか。
 今時、ドラえもんが日本のマンガと知らない韓国人など、いるわけがない、ユン・ソナが、変わっているのだ。

 この記事を読んで、「そうか、韓国ではいまだに日本のアニメを、 "ウリナラ*の作品”と偽って放送しているのだな」などと思わないように。今、韓国では"One Peace"が大流行だが、こうしたアニメが、すべて日本の作品だということは誰でも知っている。だから、若い人は日本語を勉強し、反日教育にもかかわらず日本にやってくるのである。

 某自称韓国通ライターの、「韓国ドラマを見ると、韓国という国の文化が理解できるんです」という発言と並び、この夏いちばん_| ̄|○となった発言であった。ユン・ソナは変わってる。だから、人気があるんだろうな(^^)。

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2004.08.11

NHKニュース10で

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チンジルバンを紹介していた。

まるで、今年になって登場したかのような紹介の仕方だったが、もちろんうそ。僕がソウルに来た2001年にはすでに普及していた。

チンジルバンは、複合サウナ施設のひとつ。
シャツと短パンを着て、男女一緒にサウナに入れるのが特徴だ。
もちろん男女別の大浴場もあり、スポーツマッサージ、食堂、PC房(ネットカフェ)、ネイルアート、仮眠室などを備えたところも多い。料金は、5000~1万W。
僕も、下宿に住んでいた頃、おばちゃんに連れられて行ったものだ。今もときどき、ゆっくりしたいときに行く。旅行中なら、安宿代わりにも使えるのが良い。
チンジルバンドットコムというポータルサイトもあり、若い人を中心に、きれいなチンジルバン、便利なチンジルバンの情報を交換している。掲示板の書き込みを見ると……

「彼女とチンジルバンでデートするんですが、どこか良いところはありますか」
「東大門区の××チンジルバン、彼女と行ってきましたがすごくよかったです!」

デートコースになっているのであった。確かに、暑いサウナでべったりしているカップルをよく見かける。まったく、うらや……、いや、あつくるしい。

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2004.08.08

Cyworldへの会員登録1

最近、韓国のコミュニティサイト「Cyworld(サイワールド)」が流行っている。
とくに人気なのが「ミニホムピ」。誰でも無料でCyworldの会員になれば、日記帳、落書き帳、掲示板、写真帳、プロフィールなどを備えたホームページが持てるのだ。今流行のブログに近いシステムと言える。

ミニホムピ自体は、Sayclubといった他のコミュニティサイトにもあるが、Cyworldの場合、大人や外国人の鑑賞にたえる可愛いアバター(ミニミ)と、様々な家具や小道具を購入して、自分だけの部屋を作れる「ミニルーム」が受け、今や会員数400万人、若い人の間では、ほとんど名刺と化している。

さて、最近日本でもCyworldのミニホムピを始める人が増えている。このサイトにアクセスしてくれる人たちも、「Cyworld」または「サイワールド」を検索して来てくれる人が一番多い。

一方で、Cyworldに加入したいけれど韓国語がわからないので教えてほしい、といった要望もちらほら寄せられている。

そこで、Cyworldへの加入方法を、スクリーンショットで解説してあげようというのが今回のエントリだ。
だが、疲れた。眠い。というわけで、以下に画像だけ貼るので、興味がある人は挑戦してみてほしい。おやすみー。

↓各画像をクリックすると、大きな画像を見られます。
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これで、会員登録者は終了。メールが送られてくるはずだ。続きはまた。

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2004.08.07

土曜日の23時台って

いつも、アクセス少ないんだよねー。
で、日曜の午前0時台になると、ぽーんと伸びる。

みんな、NHK見てるんだろうな……。
再来週で終わりですねぇ。

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KBSで決勝見てました

 日本代表の皆さん、おめでとうございます。

 今回はKBS2の中継ということで、比較的公平な実況でした。もちろん、雰囲気的にはな~んとなく中国応援、という空気だったんですが、反日というよりは、判官贔屓って感じ。日本がゴールをはずしても、「ああっ、惜しかったですね! 決定的なパスだったんですが」とか言ってました。

 ロスタイム、玉田のゴールでニッポンだめ押し。

「これで、ほぼ日本の二大会連続優勝が決まりました」
「そうですねー、やはり、攻撃の最終段階の速さと正確さに、まだまだ差がありますね」
「残念ですね、我が国の代表チームなら、きっと日本に勝てたはずなんですが」
「残念ながら、今回は我が国は敗れてしまい、40何年ぶりのアジア大会優勝はなりませんでしたね」
「さあ、競技が終わりました。日本二大会連続の優勝。いかがですか」
「はい、中国も頑張りましたが、まだまだ我が国や日本とは差があるということです」
「どうなんでしょう、中国が、今後我が国や日本に追い付くためには、どうすれば……」
「そうですね、中国は、我が国や日本と比べますと、……」(けっこう編集してます)

…あの、すみません、韓国は準々決勝で負けてしまったんですが……(ノД`)。

個人的には、決勝は日本vs韓国というのを見たかったんですけどね(^^)。

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ワンウクと飲むハウスビール

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 夕方、江南でイ・ワンウクと会った。
 ワンウクは、リッツカールトン・ソウルのホテルマンだ。5月に、「韓国ドラマの不思議に迫る」の取材で訪れたとき、フロントで最初に対応してくれたのが彼で、取材を終えて挨拶した際、今度一緒に食事でもしましょうと誘われ、友だちになった。カメラが趣味で、デジタル一眼レフで取材をする僕を見て、興味をもったらしい。日本ではなかなかない展開だが、これも韓国。

 肉を食べたあと訪れたのは、江南駅前の「キャッスルプラハ」。最近話題の、ハウスビール専門店だ。去年くらいから、韓国ではこうした自家製ビールを飲ませる店が流行っている。CASSやHiteとは明らかに違う、濃厚な生ビールを味わえるのが嬉しく、630mlで6500W。つまみもあるが、店内の巨大な樽に入ったポップコーンやスナックは食べ放題で、ビールだけ注文しても充分楽しめる。韓国でも、少しずつ本物志向が浸透しているようだ。

 三十路に足を踏み入れたばかりのワンウクは、慶尚北道出身の独身ホテルマン。リッツカールトンでは、同僚とカメラ同好会を運営しているとか。ハウスビールを2杯飲み干したころにはすっかりうち解け、月末あたり一緒に日帰りで撮影旅行に行く約束をした。日本に帰るというと、とたんに友だちが増える今日この頃。「帰るなゴルァ」という天の声かもしれない。

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2004.08.03

韓国語能力試験申請

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▲韓国語教育課程評価院

 9月12日は韓国語能力試験。そのころには日本にいるつもりだったので、日本向け願書を請求していたのだが、結局届かなかった。昨年は仕事が忙しくて受けられなかったので、今年は必ず受験したい。やむを得ず、ソウルで受験することにした。

 韓国語能力試験は、毎年9月の第2日曜日に日本と韓国の各都市で行われる。1級から6級までがあり、6級がいちばん難しい。僕は2年前に4級に合格しており、今年は5・6級に挑戦する。5級は何とかなるかもしれないが、6級はチャレンジだ。ちなみに、日常生活には4級程度の実力があれば充分で、6級は韓国語で正確に討論ができるレベルということになる。これから一カ月は、勉強に専念したい。

 午後、ソウル市北部の三清洞にある韓国語教育課程評価院(KICE)で申請した。今日は受付最終日ということもあり、かなりの受験者が来ていた。大部分が日本人(または在日韓国人)だ。2~4級を受ける人が多く、一番下の1級や、5~6級を申請する人は少ない。1級程度の人は、もう少し上手くなってから受けようと考えるのだろう。申請時はなんだか緊張した。6級を受けようという人間が、流ちょうに韓国語を話せないようではみっともないと思ったからだ。意味もなく、声が裏返ってしまった。

「写真、2枚しかないんですけど、どこで撮れますか?」
「受験票は、試験当日までに貼ってくれればいいですよ」

 相変わらず、融通の利く韓国だ。
 というわけで、9月12日はソウルにいることが確定。さて、お金は持つだろうか。

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2004.08.02

対馬-釜山の国際航路

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▲外から見るとまっとうなシーフラワー

 対馬に韓国人観光客が増えている原動力が、これ。釜山-対馬間の高速船、「シーフラワー」だ。
 日本海の鬱陵島へ高速船を就航させている大亜高速海運が、数年前から就航させている。乗客はほぼ全員韓国人。対馬でチケットを買おうにも、窓口がないので事務室へ直接行くしかない。

 この船、びっくりするほど波に弱い。今まで何人か友だちが乗船を試みたが、すべて高波による欠航で断念。今回も、台風10号の接近で2日間厳原港に閉じこめられ、昨日の厳原港は韓国人であふれていた。海が静まった今朝、貯まった客を釜山に送り届けたシーフラワーは、16時に、対馬の北端・比田勝港から再び出港する。釜山まで約50km、日本最短の国際航路である。

 15時すぎに比田勝港に行くと、待合室はすでに韓国の人たちでいっぱいだった。運び屋さんが中心の下関港と違い、ほぼ全員が観光客だ。対馬中の観光客を集めたような賑やかさである。これで、対馬側に韓国語を解する人がいないというのは、マズイでしょう。

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▲全員、韓国の方

 出港時刻10分前になっても何の案内もないので、夕立の中隣の出国審査場(というかプレハブ)を覗くと、いつの間にか審査が始まっている。結局最後まで案内はなく、乗船客は全員口コミで出国審査場に移動したらしい。ここはすでに韓国か。

 薄暗い船内、自分の席を探し、座ってみる。想像を絶するおんぼろ船だ。シートは昭和30年代の国鉄特急みたいな趣で、シート上の蛍光灯はカバーが割れている。シートを倒そうとレバーを押したら、折れそうな音がしたので慌ててやめた。

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▲いったいいつの時代のシートなのか…

 16:35出港。港を出ると、いきなり気持ちいいほど上下に揺れる。シーフラワーは、海面に浮かんだまま推進力だけで進む高速船なので、波の影響をまともに受けるのだ。波の高さ2m。よく見ると、この船前に進んでない。「としまえんのバイキング」かよ!と突っ込みを入れ、トイレに駆け込む乗客を眺めるうちに、ぐっすり眠ってしまった。防衛本能が働いたのであろうか。

 18:45、本来所要1時間20分のところを、2時間10分かけて釜山に到着。とりあえず船に穴があかなくて良かった。

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対馬で会った人三題

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▲朝の厳原港。博多行ジェットフォイルが出港する

 対馬には、ハングルがあふれている。店の看板、道路標識、郵便局の看板。あらゆるところに韓国語が並記され、町にとけ込んでいる。

 バスの1日乗車券を買うために、厳原(いずはら)のバス営業所を訪れた。交通センターが建て替え中で、今はプレハブにおばさんが一人いるだけだ。翌日の1日乗車券を購入し、ふと見るとデスクの上に韓国語のテキストが広げてあった。

「対馬は、韓国の方が多いですね。韓国語ができる方も相当いらっしゃるんですか」。

 世間話のつもりで話しかけたが、おばさんは首をふった。

「それが、全然いないんです。釜山からの船ができて以来、本当に韓国の方が増えたんですが、受け入れる方は全然できなくて……。私も、何度も勉強しようとして、そのたびに挫折してきたんですけど」。

 これだけハングルが氾濫している対馬に、韓国語ができる人がいないとは。だが、おばさんはやっぱり韓国語を覚えたいと、今日の昼休みにこの本を買ったそうだ。もし、今日この本を買わなかったら、僕が話しかけることもなかっただろう。人の縁というのはわからない。4時間後、バスで南の集落まで往復してきた僕は、再びこのプレハブに寄って、1時間ばかり韓国語の勉強方法をレクチャーした。

「ぜひ、また対馬にいらしてください。今度は、対馬の歴史に詳しい方をご紹介します」。

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▲対馬は、ハングル併記がデフォルト

 翌日、台風10号が去り3日ぶりに釜山行きの船が出ると言うので、厳原からバスで北の比田勝(ひたかつ)へ向かった。乗客はほとんど僕だけ。発車してまもなく、運転手が運転しながら僕に話しかけてきた。どこかで見たような光景だ。

「お客さん、どちらから? え、ソウルに住んでるんですか? いいですなあ。私も、再来週1年ぶりにソウルに行くんですよ。韓国はいいですな。飯がうまい」。

 比田勝までは、実に2時間40分。対馬の魅力や韓国の話題を尽きるともなく話し続け、終点に近づくころには、すっかり仲良くなっていた。ソウルにいらっしゃるなら、ご連絡くだされば美味しい店とかご紹介しますよ。

「そうですか! いやあ、ありがとうございます。で、船は出ますかな。もし今日も欠航になったら、うちに泊まりませんか。いや、今は女房しかいなくて部屋は余ってるんです。韓国の話も聞きたいし。良かったら……」

 長年旅をしているが、今時うちに泊まっていけと誘われるのは珍しい。船が欠航しなくても行きたかったが、今夜中にソウルに戻らないと、韓国語能力試験の申請ができない。必ずまた来ます、と約束して比田勝で別れた。

 もう一人、日帰り温泉で会ったおばさん。大広間でお茶を飲みながら、半ば独り言のように語ってくれた。

「私は東京に嫁いだんですけど、ちょっと事情があってこっちに戻ってきたんです。でもねえ、ここはやはり世間が狭くて、皆すごく細かいことを気にするんです。情がないって言うか。やっぱり、都会のほうが住みよいですよ。私はここ出身だから良いですけど、主人が可哀想でね……」。

 対馬は、2泊3日では短すぎたようである。

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