2004.03.30
上野でお花見
上野公園へ、ひとりで花見に行ってきた。
ニュースでは、桜が満開とのことだったが、見たところ7分咲きといったところ。3分は散ってしまったのかもしれない。とにかく、期待したほどではなかった。
露店のにおいに惹かれて東照宮のほうへ。
「核兵器をなくし、永遠の平和を誓う広島・長崎の火」。
火、消えてるやん。
絵馬を眺めた。「絶対合格!」「○○くんと結婚できますように」なんてバリバリ王道な絵馬もあれば、「さっきのおみくじが当たりませんように」なんていう、神社的に思うつぼな絵馬もある。そんな中でみかけた絵馬がこれ。
「小泉、聞け! "独島" は大韓民国の土地! 対馬も!」
…いや、日本語で言わないと聞いてくれないでしょ(^^)。
誰も韓国語わからないと思って書いてるんだろうなあ。
韓国人の家族連れも、バツ悪そうに苦笑いしていた。
2004.03.29
「てるてる家族」 朝ドラで歴代最低に
。・゜・(ノД`)・゜・。
NHK朝の連続テレビ小説「てるてる家族」の関東地区の平均視聴率と最高視聴率が歴代最低だったことが29日、ビデオリサーチ社の調べで分かった。昨年9月29日~今月27日に放送された同ドラマは平均視聴率18.9%。(毎日新聞:元の記事を読む)
今朝から始まった朝ドラ「天花」。とりあえず見たけど、一瞬でリタイア。いかにも朝ドラらしい朝ドラで、僕はついて行けそうにない。
2chをはじめ、ネットの書き込みを見ても、「てるてる」の評判はすごく良い。「面白かった」「終わっちゃって寂しい」「続編キボン」……。infoseekのドラマレビューでも絶賛されている。そういえば、ブームになった「踊る大捜査線」も「ガンダム」も、本放送時は低視聴率だったそうだ。つくづく、視聴率と作品の評価は違うことを実感した。
ジャニーズのタレントが出演していたり、数多くの歌が出てくるなど、権利関係が面倒そうだが、ぜひDVD化してほしい。発売されたら、ぜったい買います(笑)。
ちなみに、てるてる家族って、こんなドラマ。
韓国のガイドブック、完成
去年、ずーっと作っていた韓国のガイドブックの見本が、ついに完成。
今までいろいろなガイドを作ってきたけど、これほど手間暇かけて作った本は初めてだ。
ぱらぱらページをめくると、自分で書いたコンテンツの多さに、今さらながら驚く。ソウルに限って言えば、2/3くらいは僕の記事&写真、旅の技術編は9割近い。
もちろん、いろいろ不満はあるのだが、韓国のガイドブックとしてはかなり充実したと思う。
惜しむらくは、設計が去年なので、ドラマ関係の記事がほとんど入らなかったこと。これは、今後の課題だろう。
発売は月末。店に並んだら、また詳しく紹介します。
韓国旅行の際は、ぜひお買い求めください(笑)。
2004.03.28
ハードな一日をだらだら書く
▲夕暮れの上野駅。レッスンを終えて。
徹夜でムックの入稿を終わらせ、朝8:00に帰宅。ナチュラルハイ状態で「てるてる家族」最終回を見た。何年ぶりかではまった愛着ある番組の終了に、なにやら喪失感。来週から、何を楽しみに生きていけばいいのだろう……。感慨にふけっているうちに、熟睡。
「四角い仁鶴が、まぁるく収めまっせ~」
どこかで聞いた声に目を覚ますと、12:15。いかん! シャワーを浴びて、あわてて部屋を飛び出す。13:00から、上野で友だちに韓国語の個人レッスンをする約束なのだ。
結局、約1時間の遅刻。お昼をごちそうしてお詫びとし、17:00までドトールコーヒーでレッスンする。今日のテーマは、「~してください」。生徒である友人は飲み込みが早く、とても教えやすい。今日は寝不足のせいかちょっと難しくしてしまったが、言葉を教える仕事は楽しくやりがいがある。以前日本語講師をしたときも思ったが、こういう仕事は僕に向いているようだ。
18:00、高田馬場の「とりやす」に移動して打ち合わせ。以前いた会社の先輩から仕事の打診を受ける。出版社の都合もあるので実現するかは未知数だが、面白そうなので引き受けることにした。打ち合わせの場所が「とりやす」というあたり、なかなか出版っぽくてよい。やっぱりハツはうまい。
22:00、国分寺のライブハウス「クラスタ」へ。ネットで「てるてる家族」の感想をずっと書き続けていた、O-yumikoさんのミニライブ兼オフ会に飛び入り参加した。馬場の打ち合わせが長引き、結局ライブには間に合わなかったが、ピアノのライブ演奏を聴きながら、楽しく過ごす。
終電で中野へ。今日は、もう松戸へは帰れない。親父が行きつけの台湾料理店にいるというので顔を出す。2時半ごろまで親父としゃべり、一人でまんが喫茶へ。親父の家に泊まっても良かったが、初電でさっさと帰ってぐっすり寝たかったので、遠慮した。
結局熟睡してしまい、起きたら5:30。JRを乗り継いで、ゲストハウスに着いたのは朝の7:00すぎだった。火曜いっぱい、仕事はオフ。今日は爆睡するぞ。
2004.03.21
韓国スキージャンプを訪ねて1
▲韓国スキージャンプ国家代表チームと
かつて、いくつかのサイトで発表した、韓国スキージャンプチームのレポートを再掲載。
--------------------------------------
「明日のオフィシャルトレーニングは、3時半からです。間に合いますか?」
韓国・ソウルの学生街、新村。こんなところでジャンプの話をするなんて、妙な気分だ。2000年8月28日。「FISグランプリ 茂朱(ムジュ)スキージャンプ アジアシリーズ」観戦のために、韓国へ来ている。電話の相手、ムン・チョンセン氏は、韓国ジャンプチームのスタッフで、韓国で唯一、FISの国際審判員を務める方である。僕を今回の大会に招いてくれた恩人だ。
1998年、長野オリンピックのことだ。スキージャンプ団体戦。原田が、船木が飛び、日本中が興奮に包まれていた。僕は、日本チームに感動しつつ、他にも日本人のような顔をした選手が飛んでいるのに気づいた。テストジャンパーよりも、遙かに未熟なジャンプ。原田が137m飛んだ台で、80mくらいしか飛べない。それが、韓国チームだった。
日本以外にもジャンプに挑戦するアジアの国があることに興味が湧いた。しかし、全くと言って良いほど情報がない。2年近く、思い出すたびに色々調べ、ようやく韓国で唯一のジャンプ台がある、茂朱リゾートのHPを見つけた。
やっとのことでたどり着いたサイトにも、ジャンプに関する情報は何もなかった。書いてなければ、教えてもらうしかない。当時ハングルすら読めなかった僕は、辞書と格闘して英語の質問メールを出した。しかし、返事が来ない。1週間、2週間…。1カ月が過ぎ、諦めかけた頃、ようやく返事が届いた。その差出人が、冒頭のムン・チョンセン氏だった。
韓国でジャンプ競技が始まったのは、1996年のこと。その歴史は、まだ10年にも満たない。競技人口わずか6人、しかも冬は整備の問題で台がまともに使えない。そんな状況の中で4人を選び、初めて参加したのが長野オリンピックだった。団体戦の結果は出場11カ国中最下位。カザフスタンにも負けた。しかし、その後も日本の大会やワールドカップに選手を派遣し、地道な活動を積み重ねていった。
「今夏、初めてワールドカップクラスの大会を開催します。かげりさんはいらっしゃいますか? ぜひ、来てください。できる限りの歓迎をします!」
2000年8月の平日、僕は会社を4日も休んで、韓国に飛んだ。
(続く)
2004.03.20
韓国スキージャンプを訪ねて2
▲スキー場の奥から姿を現したジャンプ台
8月29日。ソウルから列車とバス、そしてタクシーを乗り継いで4時間あまり。人家もまばらな山奥に、茂朱ジャンプ競技場はあった。
がらんとしたコンドミニアムに荷物を下ろし、坂道を10分ほど歩いて「ジャンピングパーク」に行く。鮮やかな夏の空の下、静かにジャンパーを待つジャンプ台。一見美しいが、よく見ると、雪の代わりに用いられるプラスチックファイバー樹脂は乾いて荒れ、下のブレーキングトラックはなんと天然芝である。着地したジャンパーは、泥や砂利のある天然芝に、時速60km以上の猛スピードで突っ込まなくてはならない。危険この上なく、信じられない話だ。どうしてこんなことになったのか。
茂朱リゾートは、韓国版バブルの産物だ。リゾートブームに乗って建設されたが、ソウルからのアクセスがあまりに悪く、入場者数は低迷。97年に官民挙げて誘致したユニバーシアード冬季大会が終了すると、あっという間に経営破綻した。オリンピック誘致のため再建が始まったが、予算は激減。加えて競技人口一桁の超マイナー競技である。満足な台の整備を望む方が無理だった。プラスチックファイバー樹脂は非常に高価で、維持にもコストがかかる。だから、着地点の斜面以外、満足に導入できなかったのだ。こんな状態で試合をやるのかと呆れるべきか、それでも国際基準を一応クリアできるだけ整備してあることを褒めるべきだろうか。
▲「歓迎2000FISグランプリ 茂朱スキージャンプアジアシリーズ」
選手たちが出てきた。今期サマーシリーズのポイントリーダー、ヤンネ・アホネン(フィンランド)、昨年の世界チャンピオン、マルティン・シュミット(ドイツ)の姿が見える。そして、葛西紀明ら、日本のトップジャンパーもいる。
スタンドで見守る観客は、僕を含めて20人ほど。僕以外は、ほとんどが関係者だ。やがて、公式練習が始まった。ファンファーレも何もない、のどかな夏の昼下がり。聞こえるのは、スキーの音とヒグラシの声だけだ。場内アナウンスは選手名の読み方がわからずごにょごにょ言い、前に飛んだの選手の名前をコールしたりする。電光掲示板の表示もめちゃくちゃだ。選手がスタートしているのに、着地点に水をまいているスタッフもいて、見ている方が冷や冷やする。選手たちも、競技よりもフルスピードで天然芝に突っ込まなくてはならないことに神経を使っていた。着地と同時にしゃがみ込み、転倒しないようにバランスをとる。明日も、こんな調子で行われるのだろうか・・・?
その晩、韓国チーム主催のウェルカムパーティで、僕はようやくムン・チョンセン氏ときちんと挨拶することができた。世界のトップジャンパーが勢揃いし、ムン氏は満足げだ。ほとんどのスタッフが初めてだが、問題は今日すべて出した。明日は必ず成功するだろう。彼はそう言うと、ワインで乾杯した。
(続く)
2004.03.19
韓国スキージャンプを訪ねて3
▲飲んでるのはジュース(笑)。エースのチェ・フンチョル
さて、2000年茂朱サマーシリーズ前日のウェルカムパーティ。会場では、全羅北道、そして茂朱リゾートが冬季オリンピック招致をアピールするビデオが流れている。ここで、韓国チームの選手を紹介しよう。
カン・チルグ
16歳。この年、2000年の3月、日本の蔵王で行われた国際大会でデビューしたばかり。ひょろりとした文系っぽい少年で、とてもラージヒルを飛ぶようには見えない。
キム・ヒュンキ
99~00年シーズン、ワールドカップのひとつ下にあたるコンチネンタルカップで活躍した高校生だ。コンスタントにシングル入賞し、今後が期待されている。優しそうな少年で、韓国チームの中では英語がうまい。長野五輪代表。パーティでは皿一杯にケーキを盛ってご機嫌だ。
チェ・フンチョル
韓国チーム不動のエース。物静かで、あまり冗談を言わない。ストイックに競技に取り組むアスリートの雰囲気を漂わせている。端正な顔立ちで、有名になれば、きっと女性ファンが増えるだろう。長野五輪以前にワールドカップ・ポイントを獲得した唯一の選手で、最高9位入賞の実力派。
キム・ハクス
チーム最年長の20歳。パイオニアの一人だが才能には恵まれず、本大会にも選手としては出場していない。その明るい性格は、韓国チームのムードメーカーである。
チェ・ヨンジク
99年ジャンプ週間・インスブルック大会で入賞し、この年韓国チーム唯一のポイントを獲得した選手。フンチョルとエースの座を争っている。ほとんど余計なことはしゃべらないが、僕に唯一話しかけてきた言葉は、「結婚はされているんですか?」だった。
▲ノリのよいカン・チルグ(左)とキム・ハクス(右)
気がつくと、全羅北道の誘致アピールのプログラムは終わり、歓談の時間になっていた。ショートトラック以外、国民もほとんど関心を持たない冬季五輪。ユニバーシアード(大学生の世界選手権)を開催したおかげでインフラは揃っているが、2008年に北京でオリンピックが開催されれば同じアジアの韓国の立場は苦しくなる。経済的にもムード的にも、クリアしなくてはならないハードルは多い。
さて、明日はいよいよ本戦だ。
2004.03.18
韓国スキージャンプを訪ねて4
▲テレビ局の中継車も集まった
大会当日、30日。台風の接近が伝えられていたが、大丈夫。きれいな青空だ。クラブハウス前には、KBS、MBCなどテレビの中継車が集まった。夜のスポーツニュースで、初のワールドカップ大会を報道するのだという。
「これで、韓国の人に少しでもジャンプを知ってもらえたらと思います」
ムンさんが、神妙な顔をして言った。
簡単に試合のルールを説明しよう。今回出場する選手は44人。11人ずつ4つのグループに分かれ、ファーストラウンド(1回目)を行う。順位は飛距離点と飛形点の合計で争われ、各グループの上位6人、24人がファイナルラウンド(2回目)に進める。韓国勢の目標は、このファイナルラウンドに進出することだ。
練習ラウンドが始まろうとする頃、たくさんの子供たちが集まってきた。100人くらいはいるだろうか。中学生や親子連れなどもぞろぞろやってくる。ジャンプファンではなく、地元の住民だという。小学生は学校全体で来たそうだ。おらが町に、世界のトップ選手が集まってくる。見に行かなきゃ…。そういうことらしい。子供たちがキャーキャー言ってスタンド周辺を走り回り、会場は一気ににぎやかになった。
テストジャンパー(競技には参加せず施設・天候の状況をチェックするジャンパー)、がスタートする。観客は、ほぼ全員ジャンプ観戦は初めてだ。
「おおおおお~!!」
ジャンパーが空中に飛び出した瞬間、数百人とは思えないほどのどよめきが広がり、着地と同時に拍手と歓声に変わった。そして、ゼッケン1番、日本の千葉勝利が113m。悲鳴とも歓声ともつかない声があがる。初めて生でジャンプを見た時の衝撃は、大変なものだ。人間が、遙か彼方から空を飛んでくるのだ。
試合は、パーティで知り合った、大韓スキー連盟のジュ・ユンジョンさんと観戦した。韓国チームのお姉さんだ。関係者という雰囲気は全然なく、ドイツのエース、マルティン・シュミットのサインを見せびらかして喜んでいる。
「へー、ジュさん、シュミットのファンなんですか?」
「ううん、さっき名前を知ったの。かっこいいわ。」
と、いうわけで、試合中、僕はつたない英語で一人一人の選手、世界のジャンプ事情を彼女に説明することになった。と、ヤンネ・アホネンが一本目の競技を行うためにこちらへ来る。
「かげり! (世界ランキングトップを示す)ゴールドゼッケンよ!」
見ると、ジュさんはどこに持っていたのか、すでに色紙とサインペンを持ってスタンバイしている。リフト乗り場の前に仁王立ちのジュさん。まさか…。
「アホネンさん! サインください!!」
運営スタッフが、なんてことしてるんだ!? 今、選手は競技中だから、話しかけちゃだめっだって…。アホネンは、苦笑いしながらサインに応じていた。すると、スタンドからどんどん子どもたちが集まってくる。
▲ヤンネ・アホネンにサインをねだるユンジョン
気がつけば、ジュさんが「ほら、あの人が世界チャンピオンよ」などと、子供達にけしかけているではないか。子どもたちに囲まれ、動けなくなるアホネン。しかし、チッと舌打ちをしつつ、彼は快く?サインに応じていた。アホネン、ヘンな名前だけどいい人だ。しかし、今は試合中。彼はリフトへ向かわなくてはならなかった。残念がる子供たち。ま、しょうがない。
その時である。子供の一人と目があった。イヤーな予感がする。子供たちがゾロゾロ僕の方へ駆け寄ってくる。ますますイヤーな予感がする。ニコニコ笑う子供たち。この僕を、どうしようと言うのか。
「サイン、ジュセヨー(サインちょうだい)」
外人であれば誰でもよかったらしい。かくして、僕が子供たちのサイン責めに遭うのであった。
▲サインをもらって大喜びの子どもたち
2004.03.17
韓国スキージャンプを訪ねて5
▲ファイナルには進めなかったチェ・ヨンジク
試合は、前日の不手際がウソのように順調に進んでいった。風の向きがめまぐるしく変わるので中断が多いが、進行自体はきちっとしている。アナウンスにもミスがない。最初のグループは良い向かい風に恵まれ、K点越えが続出。ノルウェーのヨケルソイ128mを筆頭に、葛西紀明121m。逆に、フンチョルは108mでグループ6位以内に入れず、ここで敗退した。次のグループでも、韓国人はふるわない。90m。だんとつの最下位でカン・チルグ敗退。子供たちのため息が聞こえた。
3つめのグループから風が怪しくなってきた。このグループの韓国選手、キム・ヒュンキは、すでに5位まで表示できる電光掲示板から消えてしまっている。ファイナル進出は上位6人だから、絶望的だ。しかし、このころから強い追い風が吹いてきた。後半の有力選手が、ぽとぽと100mの手前で落ちる。後の選手になるほど飛距離が伸びなくなった。
「かげり! 今、6位ヒュンキって言わなかった?」
韓国語のアナウンスだからよくわからなかった。英語のアナウンスを聞いてみよう。1位、ドイツ・ウアマン。2位、フィンランド・ハウタマキ。4位、佐藤昌幸・・・
「シックス…キム、ヒュンキ。フロム、コリア!」
アナウンスが、ひときわ大きな声でコールした。やった! ヒュンキ、ファイナル進出だ! 観客からも、大歓声があがった。
後ろからの強風で、条件がどんどん悪くなっていく中、最後のグループ。ドイツのベテラン、イエックレが121m飛んだ以外は、まったく距離が伸びない。韓国のチェ・ヨンジクはそれでも着地を粘り、最悪の条件下で101m。長野五輪の時とは、別人のように安定した飛形だ。もちろん、葛西やアホネンのジャンプとは、次元が異なるが…。風はさらに悪くなっていった。
ポーランドのアダム・マリシュ92m、シュミットはなんと79mに失速。有力選手が次々脱落し、終わってみればヨンジクは5位。ファイナル進出が決まった。次第に周囲が暗くなる中、200人の大歓声がジャンプ台にこだました。
満面に笑みをたたえたヒュンキとヨンジクが、リフトへ向かって走っていく。多くの人が、彼らにねぎらいの声をかける。この時点で、ワールドカップのポイント獲得は決定なのだ。とくにヒュンキにとっては、初めてのポイント獲得である。さあ、条件がこれ以上悪くならないうちにファイナルラウンドだ。
ファイナルラウンドが始まり、5人飛んだところで風が一層強くなった。手元のメモ帳が飛ばされる。照明がともり、ナイターになったジャンプ台。もはや風は「突風」だ。これでは、競技は危険である。
「ジュさん、ファイナルラウンドは、キャンセルになるかもしれません」
僕がそう言うのとほぼ同時に、場内アナウンスが流れた。
「あ! ほんとだ! キャンセルって言ってる…。かげり、ファイナルラウンドがキャンセルになったら、どうなるの?」
「たしか、ファーストラウンドの結果が最終結果になるんですよ」
「そっか、じゃあ、ヒュンキとヨンジクは、入賞決定ね!」
「そうですよ。やりましたね」
消化不良ではあったが、結果は結果だ。僕たちは、韓国勢の健闘をたたえて喜んだ。優勝は、ノルウェーのヨケルソイ。初優勝だ。日本の葛西は4位。しかし、一向に表彰式が行われる気配がない。観客もいなくなり、生中継をしていたドイツのARDや韓国KBSも、機材をあっというまに片づけてしまった。さっきまでのにぎわいがウソのように静まり、うすら寒い突風だけが吹き荒れるジャンプ台…。
「とりあえず、本部へ行ってみましょう」
▲あっという間に無人になった競技場
2004.03.16
韓国スキージャンプを訪ねて6
▲騒然とする大会本部
「かげり! オールキャンセルだって!」
本部から出てきたジュさんは、泣きそうな顔をしていた。オールキャンセル?
そうだ、最後のグループで、下手なはずのテストジャンパーが風にあおられ120m飛び、危険だからとスタート位置が変更されたんだ。スタート位置が変わると、助走時のスピードが変化する。全選手が同じ条件で飛んでいないので、全体の順位がつけられない。そのため試合自体がキャンセルとなってしまった。普段のルールだったら、競技の途中でスタート位置が変更されることはなく、ファーストラウンドだけで試合は成立していた。「よりエキサイティングな試合にするため」試験導入されたトーナメント方式だったが、その試験のツケは、韓国が負わされることになった。今日の記録は残らない。国際スキー連盟の公式記録には、「Muju Canceled」と記されるだけだ。試合自体が、なかったことになってしまうのだ。本部は、まだ騒然としていた。
そしてその晩、この大会を放送したテレビ局はなかった。
▲ユンジョンと、ドイツ国営放送ARDのスタッフと
「韓国のジャンプは、ステップバイステップです。まだ始まったばかりですよ」
3日後、僕はムンさんと札幌の焼鳥屋にいた。この日のサマーグランプリ札幌大会、韓国はフンチョル、ヨンジク、ヒュンキ、チルグの4人が出場したが、結果は惨敗。低スピードの争いについていけず、世界の壁の厚さを思い知らされた。試合は、日本の宮平秀治がシーズン2勝目を挙げ、日本のファンは歓喜に包まれていた。
「こんどの大会は、貴重な経験になりました。次に、いつ開催できるのかはわかりませんが…。またやりますよ」
そう言って、ムンさんはぐいっとジョッキを飲み干した。完全中継が売り物のドイツARDも途中で中継をうち切り、ファンの間では「幻の茂朱」と呼ばれた韓国サマーグランプリ。あれは、いったい何だったのか。でも、全くノウハウがない状況で、韓国の人たちはよくやったと思う。ヒュンキとヨンジクがファイナリストになったときは、確かに会場全体が、ジャンプ競技を楽しんでいたのだ。会場へ行く前に知り合った地元のおじさんも、わざわざ観戦に来て、ジャンプって面白いですねと言ってくれたのだ。次に茂朱で大会が行われるときは、また必ず応援にいきます。そう約束して、もう一度ビールで乾杯した。
韓国ジャンプチームの挑戦は、始まったばかりである。
2004.03.15
なぜか、朝型
飯田橋の事務所で待機中。
最近、えらく朝型になっている。
毎日、遅くても23時には眠くなり、0時をすぎたら何もできない。そして、朝目覚めるのは4時過ぎだ。
今日の場合、朝4時半起床。5時から9時まで、部屋で雑誌のラフデザインを引く仕事。
9時すぎにシャワーを浴び、食事をして10時過ぎ出発。飯田橋の事務所には11時半に到着した。
で、今まで仕事をしているというわけ。今日できる仕事はだいたい終わったので、今は事務所のボスの帰りを待っているところだ。
ほんの数カ月前、ガイドブックをつくっていたときは、どんどん時間が後ろへ後ろへずれていった。0時に寝ていたのが2時になり、4時になり、6時になって昼夜が逆転。NHK「おはよう日本」を見てから寝、「てるてる家族」昼の再放送で起きるような生活だった。
それが、いつの間にか23時就寝、4時起床に。こらまたどういうわけか。
まあ、体調が良くないというのがあるのだろう。体力が落ちているから、早い時間に眠くなる。しかし、やるべき仕事はあるので、なんとか朝起きて机に向かわなくてはならない。そのうち、それが習慣化したと言うわけだ。
だが、早起きの生活というのはなかなかいい。
なんだか、時間を得したような気がする。
これで、僕も晴れて爺さんの仲間入り、というわけだ。
2004.03.13
仁川国際空港のサウナ
去年工事をしていた、仁川国際空港地下のサウナがオープンしていた。
24時間営業で、入場料は8000W。韓国のサウナとしてはやや高価だが、仮眠室も50人分用意されており、遅く到着して市内のホテルまで行くのが面倒なときなど重宝しそうだ。アカスリや、靴磨きも頼める。今のところ日本語には対応していないが、だんだん知られていけば、片言の日本語くらいは通じるようになるだろう。
2004.03.12
「大極旗を翻して」鑑賞
たった今見て、帰ってきた。2月5日の公開以来、韓国映画の記録を次々塗り替えている話題作だ。日本でも「ブラザーフッド」として今夏の公開が予定されている。主演はチャンドンゴンとウォンビン、監督は「シュリ」のカンジェギュと、豪華な顔ぶれでも話題になった。
1950年夏、家族を守るために一生懸命暮らしていた、ジンテ(チャンドンゴン)とジンソク(ウォンビン)の兄弟は、朝鮮戦争の勃発によって強制的に徴兵され、戦地に送り込まれる。ジンテはジンソクの徴兵取り消しを求めるが聞き入れられず、そのためには自分が英雄となるしかないと考え、次第に率先して戦うようになっていく。次々と手柄をたてるジンテと、戦争への疑問を拭い切れないジンソクの間には次第に溝が生まれ...(全部聞き取れてないので間違ってる可能性あり)。
感想。ひとことで言って、かなりいい。意図的にアップを多用したカメラワーク、以前の韓国映画とは比べ物にならないほど迫力ある戦闘シーン。あまりの生々しさに、目を背けたシーンも多かった。
ストーリーはよくある戦争によって引き裂かれた家族と兄弟の悲劇。映画の中盤でクライマックスの展開が読めるのは残念だったが、それを補って余りある力を備えた映画だった。
予想外にすばらしかったのは、ウォンビンの演技だ。兄に頼るばかりのひ弱な青年が、戦場で幾多の修羅場を乗り越えてたくましく成長していく様を見事に演じていた。映画の序盤と終盤で、別の役者が演じているのかと思ったほどだった。正直、映画終盤まで来ると、ウォンビンがかっこ良すぎて映像にマッチしていないと思ったのだが、これは僕のひがみなのかも。
映画が終わり、照明がつくと、ほとんどの観客が泣いていた。
だが、僕は泣けなかった。
「オアシス」や「8月のクリスマス」でがんがんに泣いていたのに、涙は出なかった。
頭に浮かぶ単語は、朝鮮戦争、南北分断、冷戦、国連、人民解放軍。当時の歴史にばかり思いを馳せていた。朝鮮戦争の悲劇を、自分の家族のこととして捉えられる韓国人とは、根本的に受け止め方が違う。やはり、僕は外国人ということなのだろう。
ちょっと、いろんなことを考えた。
2004.03.03
韓国・茂朱ジャンプ競技場
▲茂朱ジャンプ競技場のノーマルヒル(左)とラージヒル(右)。2000年FISサマーグランプリ
リクエストにこたえて、韓国のジャンプ台を紹介。
韓国のジャンプ台は、全羅北道の茂朱リゾート内の茂朱ジャンプ競技場が唯一の存在だ。ソウルからバスで南へ4時間、徳裕山国立公園の中にある。
韓国でジャンプ競技が始まったのは、1996年のことだ。ソウルオリンピックの成功を受けて、当時の盧泰愚(ノ・テウ)大統領は、冬季種目もメダルを取れるよう強化する方針を打ち出した。それまでアルペンしかなかった大韓スキー連盟にノルディック(ジャンプとクロスカントリー)とフリースタイル(モーグルなど)部門が設けられ、計画段階だった茂朱リゾートに、本格的なジャンプ台を建設することが決定。1996年、ミニヒルからラージヒルまで、6つのジャンプ台を備える茂朱ジャンプ競技場が完成した。まもなく地元の小中学生からジャンプに挑戦する子供が募られ、数人の中学生が強化選手に指定された。こうして韓国スキージャンプチームはスタートを切ったのである。彼らは、2年後の長野オリンピックに、韓国初のスキージャンプ国家代表として出場することになる。
▲ラージヒルのスタートゲート。2002年大韓選手権
茂朱リゾートは、韓国がバブル景気に包まれていた時期に建設されたリゾートで、スキー場のほか、ゴルフ場、コンドミニアムなどの施設を備える。毎日ソウルから定期観光バスが往復するものの、足場の悪さから経営は苦しい。
ジャンプ競技場には、ラージヒル(K=120)、ノーマルヒル(K=90)と並んでふたつのミディアムヒルがある。4つのジャンプ台が並ぶさまは壮観だ。このほか、ゲレンデの中に小さな練習台がふたつあり、ジャンプ選手を養成する施設としては素晴らしい充実ぶりだ。だが、その多くはうち捨てられたも同然の状態である。何しろ、競技者が国内に6人しかいないのだ(2003年春まで7人)。それでもドイツからコーチを招いての強化が行われており、2003年の冬季ユニバーシアード、青森冬季アジア大会で優勝するなど、実態以上の成績を収めている。
僕が、そんな韓国ジャンプチームに出会ったのは、今から5年ほど前のことだった。
つづく。
▲2002年当時の韓国スキージャンプ国家代表チーム(=全競技者)
韓国のドラマをネットで
▲MBCミニシリーズ「屋上部屋の猫」公式サイト
今まで利用できないと思っていた、韓国のテレビ局の有料VODサービス。実は、外国人でも利用できるようになっていいた。SBSもいけるらしい。
そんなわけで、「屋上部屋の猫」第2回を買ってしまった。1週間視聴できて、500W(50円)。
高麗大が舞台で、見慣れたキャンパスが死ぬほど出てくるというドラマだ。
去年の6~7月に放送されたドラマで、高麗大が出てくるのでちらちら見ていたが、主人公の女の子が可愛くないので、あまり見ていなかった。
それが「ドラマ韓」を試そうと、無料視聴できる第1回を見たら、ハマりそうな予感。
登場人物がばんばん死んじゃったり、記憶をなくしたりってドラマより、こういう軽いノリの恋愛もの、けっこう好きらしい。
第2回以降は1回100円で視聴できるのだが、本家MBCテレビ局のVODなら500W(50円)だったはず…ということで、挑戦してみたら、あっさり日本のDCカードで決済できちゃった。50円の引き落としというのも、微妙だが。
▲すべての回と、名場面集を購入できる。他のドラマもすべて同様
韓国語がわからない人には、「ドラマ韓」がお薦めだ。「冬ソナ」、「ホテリアー」、「夏の香り」など有名どころのドラマが日本語字幕付きで見られ、どれも初回は無料で見られる。動画はだいたい800Kbps程度でブロードバンドが必須だが、ADSLなら充分見られるだろう。
韓国ジャンプの話は、後ほど(笑)。
追伸
だいぶわかってきた。韓国のドラマを配信しているサイトには、ドラマ韓のほかに、BROBA、Showtimeといったサイトがあり、それらをまとめてリンクしているのが、ブロコリということのようで。とりあえず、ブロコリに行けば現在見られるコンテンツを見渡すことができる。それにしても、「ベスト劇場」なんて2時間単発ドラマシリーズを集めてしまうあたり、何でもあり状態になってるなあ。
2004.03.02
葛西紀明優勝
かなり遅ればせながら、スキージャンプのワールドカップ第19戦、アメリカ・ソルトレイクシティ大会で、日本の葛西紀明が約1年ぶりに優勝、ジャンプW杯の最年長優勝記録を更新した。葛西って僕より年下だったのかと思いつつ、久々の「競っての勝利」を祝福したい。去年は1本目で中止になっての、棚ぼた優勝だったのだ。
31歳8カ月・葛西が最年長V/ジャンプ(YahooNews)
葛西紀明公式サイト
知っている人は知っているとおり、僕は昔からスキージャンプが好きだ。1988年カルガリーオリンピックの頃から興味を持つようになり、最近は、年に1~2回札幌や白馬へ観戦に行く。巨大なジャンプ台から、人間が空を飛んで落ちてくる迫力は、テレビではとても味わえない。人間の身体が風を切り裂く音は、ジャンプでしか聞くことができない。
韓国で暮らすようになってからは、観戦に行く回数は減ったが、韓国で国内のジャンプ大会を観戦するという、おそらく世界でも数人しか体験していないことをやった。気が向いたら、次回は久しぶりに韓国のスキージャンプチームを紹介したい。
2004.03.01
オッパ。
▲呪わしきCtrlキー
最近まで日本に留学していた韓国人の女の子と、久しぶりにmsnメッセンジャーでしゃべった。
彼女は高麗大学日本文学科の学生。イ・ヒョリと工藤静香を合わせたような、僕の友人の中でもかなりきれいな女の子だ。いくつか韓国語について教えてもらい、お礼に今度ソウルで豚カルビでもおごるよ、と言うと、彼女はいつもご馳走になっているので、今度は自分が…と言った。
「いや、僕が”オッパ”だから、僕がご馳走しないと」
「(笑)。やっぱり、カゲリさんも”オッパ”って呼ばれたら嬉しいですか?」
オッパとは、韓国語で「お兄ちゃん」という意味だ。もとは妹が兄を呼ぶときに使われる呼称だが、若い女の子が、彼氏や親しい男友だちを呼ぶ時にも使われる。韓国の男は、女の子から「オッパ」と呼ばれると、とても喜ぶ。
正直、僕は日本人なので「オッパ」と呼ばれてもそれほど嬉しいわけではない。もちろん悪い気はしないし、本当に好きな女性からそう言われたら嬉しいだろう。しかし、どこか不自然な感じがあり、気恥ずかしい。今まで「カゲリさん、今度からオッパと呼びますね」と言ってくれた女性は数多いが、実際に僕をオッパと呼んでくれた女性は一人もいない。みんな、僕をオッパと呼びたいけれど、外国人なので気兼ねしているのであろう。実に奥ゆかしい、韓国女性らしいエピソードだ。
”もちろん、女の子からオッパと言われたら嬉しいけど、照れくさいよね”
そんな風に答えることにした。長年出版界で文章を入力してきた僕である。日本語なら、目にもとまらぬスピードで入力が可能だ。「オッパ」は日本語にない単語なので、自分でカタカナに変換しなくてはならない。カタカナへの変換は、F7キーか、Ctrl+「I」キーだ。僕は、「おっぱ」と入力した直後、Ctrl+「I」キーを押してカタカナへの変換を指示した。
しかし、僕は気づかなかった。この時、Ctrlキーを押す小指が、汗によってわずかに滑ったことを。Ctrlキーが正しく押されていなかったことを。
頭より速く指が動く、達人の文章入力。あれ、"オッパ" がカタカナになってないな、と思った次の瞬間、僕の指は勝手にEnterキーを押していた。
文章が、彼女に送信された。
「もちろん、女の子からおっ×いと言われたら嬉しいけど、照れくさいよね」
永遠の、時が流れた。
不適切な表現がありましたので、一部伏せ字としました。
Recent Comments